「タラントン」のたとえを観想、教皇、日曜正午の祈り
教皇フランシスコは、11月19日(日)、お告げの祈りを巡礼者と共に唱えられた。
この日、カトリック教会は「第7回貧しい人々のための世界祈願日(テーマ:どんな貧しい人にも顔を背けてはならない(トビト記4,7)」を記念した。
同日午前、教皇はバチカンの聖ペトロ大聖堂で、貧しい人々のためにミサを捧げられた。
ミサ終了後に行われたこの祈りの集いで、教皇は、同祈願日の呼びかけに答え、困窮した人や家族に連帯を示した教区や小教区の関係者に、感謝の言葉を述べられた。
祈りに先立つ説教で、教皇は、この日の福音朗読箇所、マタイ福音書中の「タラントン」のたとえ(マタイ25,14-30)を取り上げられた。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
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今日の福音は、有名な「タラントン」のたとえを語っている(参照 マタイ25,14-30)。
一人の雇い主が長旅に出かける前に、三人の使用人たちに自分の財産の一部を託した。主人は各自の能力に応じて財産を託した。そして、旅から帰ると、使用人たちに預けた財産の決算を求めた。
三人のうち、二人は預かった金をうまく運用してもうけ、主人に二倍にして返す。ところが三番目の使用人は、恐れのために預かった金を地中に隠し、主人にそのまま返す。そのために主人から厳しいとがめの言葉を受けることになる。
このたとえ話から、神に近づくための二通りの異なる方法を学ぶことができる。
第一の方法、それは預かったタラントンを地中に埋めて隠していたしもべのやり方である。彼は主人も、自分自身も信頼していない。彼は主人にこう言う。「あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました」(マタイ25,24)。この言葉からも、彼が主人を恐れていることがわかる。主人が彼に寄せる信頼や評価さえも見ていない。ただ主人の厳しさだけに注意を払っている。これがある種の人々が抱く神のイメージである。彼らは神の善良さを信じることができない。これでは、自分自身を制限し、自分の使命を果たすこともできない。主人の期待にも沿うことができなくなる。
二番目の方法を見てみよう。他の二人は主人に対して信頼し、また彼ら自身も主人の信頼に答えようとする。うまくいくかどうかはわからないながらも、預かったタラントンを失敗を恐れず全部活用しようとする。このように、自由に行動する勇気をもって、創造的に新たな豊かさを生み出すのである (参照 同上20-23)。
ここには、神の前に恐れか、信頼かの、二本の分かれ道があるように思われる。たとえに出てくる使用人のように、わたしたちも皆、お金よりももっと尊いタレントをもらっている。このタレントをどのように活かすかは、心を解放し、わたしたちを行動に導き、創造的にしてくださる主なる神に寄せる信頼にかかっている。信頼は解放し、恐れは閉じ込め、不能にする。恐れは麻痺させ、信頼は才能を開花させる。
聖母マリアが、恐れに打ち勝ち神に信頼する力を与えてくださいますように。