聖母の被昇天:教皇「マリアのように奉仕し、神をたたえる」
教皇フランシスコは、典礼暦で「聖母の被昇天」の祭日を迎えた8月15日(火)、正午の祈りの集いを持たれた。
集いの中で、教皇は福音朗読箇所、ルカ福音書1章のマリアのエリザベト訪問と、マリアの賛歌(ルカ1,39-56)を観想し、説教を行われた。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
**********
今日、聖母の被昇天の祭日に、わたしたちは魂も体も天の栄光に上げられたおとめマリアを観想する。今日の福音もまた、従姉妹のエリザベトを助けるために「山里」に向かって「上っていく」マリアについて語っている。マリアはそこで喜びに満ちた賛歌「マニフィカト」を高らかに宣言した。
マリアは上っていく。そして、御言葉は、高みへと向かうマリアを特徴づけるものをわたしたちに啓示する。それは、隣人への奉仕と、神への賛美である。
福音記者ルカは、キリストの生涯を、エルサレムへ、そして十字架上での犠牲へと、高みへと向かう登り坂のように語る。ルカはまた、マリアの生涯の歩みについても同様の方法で語っている。イエスとマリアはいわば同じ道をたどっている。二つの生涯は、神に栄光を帰し、兄弟たちに仕えながら、高くへと上っていく。イエスとマリアの生涯の鍵は、奉仕と賛美にある。
奉仕。兄弟たちに奉仕するために身を低くする時、わたしたちは高きへと向かう。愛が人生を高くへと引き上げるのである。しかし、奉仕は簡単ではない。聖母は受胎告知の直後、ナザレからおよそ150kmも離れたエリザベトの家に向かったのである。人を助けることは犠牲を要求する。
わたしたちも他者の世話をする時、苦労や忍耐や心配の中でこうしたことを経験するだろう。それは大変なことではあるが、高きへと向かうこと、天国を得ることなのである。
しかし、その奉仕も、神への賛美がなければ、不毛なものとなる恐れがある。実際、マリアはエリザベトの家に入り、神をたたえる。旅の疲れを語るのではなく、マリアの心からは喜びの歌があふれ出る。なぜなら、神を愛する者は、賛美を知っているからである。
今日の福音は、エリザベトの胎内の子が喜びおどり、エリサベトの祝福の言葉が高らかに響き、マリアの賛歌、マニフィカトで頂点を迎えるという「賛美の連鎖」を見せている。賛美は喜びを増し、それは階段のように心を高きへと運ぶ。賛美は魂を高揚させ、うちひしがれそうな気持ちに勝たせる。
奉仕と賛美。さて、ここで自問しよう。わたしは仕事や生活を奉仕の心で生きているだろうか。マリアのように神を賛美し、祈っているだろうか。神を賛美する喜びを、出会う人と分かち合っているだろうか。
わたしたちが奉仕と賛美を通して毎日より高く心を上げることができるよう、天に上げられた聖母の助けを祈ろう。