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カンタラメッサ枢機卿の小さな黙想・第2回

教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の、四旬節を機会とした小さな黙想の2回目を紹介する。

 復活祭前の準備期間、四旬節にあたり、教皇付き説教師ラニエーロ・カンタラメッサ枢機卿は、バチカン・ニュースの依頼に応え、ビデオを通した短い黙想を6回にわたり行う。

 今回はその黙想の2回目を紹介する。

 カンタラメッサ枢機卿は今回の黙想で、マルタとマリアの家に迎えられた時のイエスの言葉を取り上げている。

 イエスを家に迎え、マルタはもてなしのためにせわしく立ち働く一方で、姉妹マリアはイエスの足もとに座ってその話に聞き入っていた。マルタがイエスに、自分の姉妹に手伝うように言って欲しいと頼むと、イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」(ルカ10,42-43)と答えられた。

 カンタラメッサ枢機卿は、この黙想のテーマとして、イエスの「必要なことはただ一つだけである」という言葉を提示している。

 同枢機卿による小さな黙想・第2回目の内容は次のとおり。

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 福音書におけるイエスの言葉は「濃度」が非常に高いものです。それは一滴、一滴を味わうものです。

 今日の「一滴」は、イエスが、あれこれとせわしく働くマルタにかけた言葉です。「マルタ、マルタ、[…] 必要なことはただ一つだけである」。

 この言葉は今、わたしたち一人ひとりに向けられています。「必要なことはただ一つだけである」。

 もし、あなたがこのただ一つのことを持っているならば、たとえ何も持っていなくても、すべてを持っていることになります。もし、あなたがそれを持っていないならば、たとえ全世界を持っていても、何も持っていないことになるのです。

 この唯一必要なこととは何でしょうか。それを1800年代の偉大な哲学者にして信仰の人、セーレン・キェルケゴールに語ってもらいたいと思います。神を信じているのは、われわれのように説教している者だけではないのですから。

 聞いてください。「人は人生の無駄遣いについてよく話す。しかし、無駄に費やされたのは、人生の喜びや心配事にまどわされて、神が存在し、その人、まさにその人自身が神の御前に立っていることに決して気づかない男、[そして女性、わたしが加えます] の人生だけである(キェルケゴール『死にいたる病』)」。

 ただ一つの必要なこととは何でしょうか。イエスはそれについて、二つのたとえ話をもって言われました。それは、そのためにすべてを売り払う価値のある、隠された宝です。また、それは、すべての真珠を売り払ってでも得る価値のある、貴重な真珠です。(参照 マタイ13,44-46)。

 必要なことはただ一つだけ、それは神の御国、すなわち、神なのです。

22 2月 2024, 18:22