聖ヨハネ23世の日本へのラジオメッセージから60年
今から60年前、日本時間1959年2月17日早朝、教皇聖ヨハネ23世は、バチカンから日本に向けて初めてのメッセージをラジオを通しておくられた。
この時の、聖ヨハネ23世の言葉をもって、バチカン放送の日本に向けた定期的な放送が開始された。
バチカン放送は、ローマ教皇庁とイタリア王国の間にバチカンの独立と主権を認める「ラテラノ条約」が締結された1929年2月11日から、ちょうど2年後の1931年2月12日、無線電信の開発者、グリエルモ・マルコーニ(1874-1937)を技術責任者とし、当時の教皇、ピオ11世(アキーレ・ラッティ 在位1922-1939)の第一声をもって始まった。
マルコーニのイタリア語による導入の挨拶と、教皇のラテン語のメッセージから始まったバチカン放送は、次第に放送言語数を増し、1958年末の試験放送を経て、1959年には、日本語放送が始まることになった。
バチカンから日本に向けた最初の放送は、教皇聖ヨハネ23世(アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリ 在位1958-1963)のラテン語の挨拶をもって、日本時間1959年2月17日の早朝(現地時間1959年2月16日深夜)に届けられた。
日本への初放送の模様を、当時の「オッセルバトーレ・ロマーノ紙」は、次のように伝えている。
「昨日、月曜日(1959年2月16日)23:30、教皇ヨハネ23世は、特別なメッセージを通し、ラジオ・バチカンの日本語による定期放送の開始を祝われた。日本語の放送は、今後、月曜日、水曜日、金曜日の同時間に放送される。
教皇はラテン語で話され、日本の司教、司祭、信徒らのために、また、気高く偉大な日本国民すべてのために、特別な言葉をもって神の恵みを祈られた。
教皇は、公邸の聖ヨハネの間で、マイクに向けてお話になった。...」
バチカン放送のマイクを通して述べられた聖ヨハネ23世のラテン語メッセージは、次のようなものであった。
「日本の皆さん、『わたしたちは皆さんに率直に語りかけ、わたしたちの心は広く開きました』(参照:「コリントの信徒への手紙2」6,11)
この喜ばしい日に、大海をへだて、遠く離れた日本の司教様方をはじめ、司祭、修道者、すべての信者たちに、初めてバチカンからラジオを通して直接にお話しすることができるのは、わたしにとって大きな喜びです。
祝福と、平和、希望、そして聖霊の喜びが、常に皆さんと共にありますように。
イエス・キリストの証人であり、すべての国々の希望である皆さんのキリストへの信仰は、言葉と行いによって輝き渡っており、また、あなたたちの良き評判は、すべての人々に知れ渡っています。
『すべての気高いこと、...すべての聖なること、すべての愛すべきこと、すべての誉れあること、すべての徳、すべての賞賛に値すること、これらのことを心に留め、...学んだことを、実行しなさい』(参照:「フィリピの信徒への手紙」4,8)
日本民族は、昔からその勇敢さ、忍耐強さ、優れた芸術によって、高く評価されています。
父としての心をこめて、神の御母、聖母マリアにそのご加護を祈ります。
永遠の輝き、正義の太陽である神よ、あなたの光で日本の人々を照らしてください。その恵みによって、キリストの福音を抱き締めることができるよう助け、すべての悪から守り、豊かな恵みを注ぎ、今もいつも幸せをお与えくださいますように。
アーメン。」
聖ヨハネ23世は、このメッセージを述べた後、同じくラテン語により、荘厳な教皇祝福を与えられた。
バチカン放送の日本語放送開始時の責任者は、東門陽一郎神父であった。
週3日の放送からスタートした日本語番組は、その後、毎日、朝晩2回の放送に成長し、司祭、修道者、信徒らの協力のもとに、42年間にわたり続けられたが、2001年3月25日をもって、多くのリスナーに惜しまれながら終了した。
日本語放送終了とほぼ同時に、バチカン放送局のインターネットサイトに、日本語によるニュース記事の掲載が始まった。
2017年から18年にかけて、バチカン放送局のホームページは、徐々にポータルサイトVATICAN NEWSに移行。 2018年7月より、VATICAN NEWSサイトを通し、日本語のニュースが配信されている。