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降誕祭2023:教皇フランシスコによるクリスマスメッセージ

2023年度の降誕祭を迎え、教皇フランシスコは、ローマと全世界に向けたメッセージと祝福「ウルビ・エト・オルビ」をおくられた。

 2023年度の主の降誕の祭日、教皇フランシスコはローマと全世界に向けたメッセージと祝福「ウルビ・エト・オルビ」をおくられた。

 前日12月24日(日)、降誕祭の深夜ミサをとり行われた教皇は、25日(月)正午、聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーからクリスマスのメッセージを述べると共に、ローマと全世界に教皇祝福をおくられた。

 教皇フランシスコによる2023年度のクリスマス・メッセージは次のとおり。

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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 主のご降誕のお喜びを申し上げます。

 世界中のキリスト者の眼差しと思いは、ベツレヘムへと向かいます。この日々、悲しみと沈黙に覆われたその場所で、世紀にわたり待ち望まれた知らせが響き渡りました。「あなたがたのために救い主がお生まれになった」(ルカ2,11)。

 ベツレヘムの空の天使たちのこの言葉は、わたしたちにも向けられています。主がわたしたちのためにお生まれになったことを知り、わたしたちは信頼と希望で満たされます。無限の神なる御父の永遠の言(ことば)は、わたしたちの間に宿られました。肉となって、「わたしたちの間に宿り」(ヨハネ1,14)に来られました。それは歴史の流れを変える知らせです。

 ベツレヘムの知らせは、「大きな喜び」(ルカ2,10)の知らせです。それはどのような喜びでしょうか。この世のつかのまの幸福でも、気晴らしの楽しさでもない、わたしたちを「高める」、「大いなる」喜びです。事実、今日、われわれ人類は、自分たちの限界を抱えつつも、天国のために生まれているという、途方もない希望を確信しています。そうです、われわれの兄弟、イエスは、ご自身の御父をわたしたちの御父とするために来られました。か弱い幼子は、神の優しさをわたしたちに示されます。それだけではありません。御父の独り子であるイエスは、わたしたちに「神の子となる資格」(ヨハネ1,12)を与えられるのです。これこそ、心を元気づけ、希望を新たにし、平安をもたらす喜びです。それは、聖霊の喜び、愛された子であることの喜びです。

 兄弟姉妹の皆さん、今日、ベツレヘムにおいて、地上の闇の間に、消すことのできない炎が灯りました。今日、この世の闇に、「すべての人を照らす」(ヨハネ1,9)神の光が打ち勝ちます。兄弟姉妹の皆さん、この恵みを大いに喜びましょう。自信も確信も失った人よ、喜んでください。あなたは独りではないからです。キリストはあなたのためにお生まれになりました。希望を捨てた人よ、喜んでください。神が手を差し伸べてくださるからです。神はあなたを非難せず、あなたを恐れから解放し、苦労を和らげるために、幼子イエスの手を差し出してくださいます。そして、神の御目にあなたが他の何よりも大切であることを示してくださいます。心に平安を見出せない人よ、喜んでください。あなたのために、イザヤの古い預言が実現したからです。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。[…] その名は、[…] 平和の君と唱えられる」(イザヤ9,5)。彼によって「平和は絶えることがない」(同9,6)。

 聖書では、平和の君に「この世の支配者」(ヨハネ12,31)が対抗し、死の種をまくことで、「いのちを愛される主」(知恵の書11,26)に逆らいます。救い主の降誕後、ベツレヘムで幼子の殉教が起きるのをわたしたちは見ました。母親の胎内で、希望を求める絶望した人々の旅路の中で、幼児期を戦争で引き裂かれた多くの子どもたちの生活の中で、この世でいったいどれだけの無辜の人々が虐殺されていることでしょうか。彼らは今日の幼子イエスです。

 平和の君に「イエス」と言うことは、戦争に、すなわちあらゆる戦争、戦争の論理そのもの、目的地なき旅、勝者なき敗北、弁解できない狂気に「ノー」と言うことです。しかし、戦争に「ノー」と言うためには、武器に「ノー」と言わねばなりません。なぜなら、定まらない傷ついた心を持った人間が、死の道具を手にすれば、いずれはそれを使うだろうからです。また、武器の製造、売買、取引が増えるならば、どうやって平和を語ることができるでしょうか。今日、ヘロデ王の時代のように、神の光に逆らう悪の計略が、偽善と隠蔽の陰で動いています。どれほどの武力による虐殺が、耳をつんざく静寂の中で、多くの人が知らぬ間に行われていることでしょうか。人々は武器ではなく、パンを求めています。日々の生活の維持に苦労し、平和を願っています。しかし、人々は軍備にどれだけの公的な資金が費やされているかを知りません。本来それを知るべきなのです。戦争の糸をあやつる利害や儲けが人々の知るところとなるように、それについて語り、記すべきなのです。

 「平和の君」を預言したイザヤはこう記しました。「国は国に向かって剣を上げず」、人は「もはや戦うことを学ばず」、むしろ、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ2,4)日がいつか来ると。神の助けのもと、その日が近づくように努力しましょう。

 その日が、イスラエルとパレスチナに近づきますように。そこでは、戦争が人々の生活を揺るがしています。わたしは、これらすべての人を、特にガザのキリスト教共同体と、小教区、聖地全体を抱擁したいと思います。10月7日のいまわしい攻撃の犠牲者に対する悲しみを心に抱きつつ、未だ人質として囚われている人々の解放を改めて呼びかけたいと思います。無実の民間人の犠牲という恐ろしい結果をもたらす軍事作戦を終わらせ、支援物資の到着に道を開き、絶望的な人道状況が和らげられることを心から願います。暴力と憎しみをあおり続けることをやめ、強い政治的意志と国際共同体の支持に支えられた、当事者間の誠実で忍耐強い対話を通して、パレスチナ問題の解決に着手せねばなりません。兄弟姉妹の皆さん、パレスチナとイスラエルの平和のために祈りましょう。

 わたしの思いは、苦しむシリアの人々、そして今も苦しみの中にあるイエメンの人々に向かいます。愛するレバノン国民を思い、一刻も早く政治と社会の安定が取り戻されることを祈ります。

 幼子イエスを見つめながら、ウクライナのために平和を祈ります。ウクライナの苦しむ人々へのわたしたちの精神的・人間的寄り添いを新たにし、わたしたち一人ひとりの支えを通して、人々が神の愛を具体的に感じ取ることができますように。

 アルメニアとアゼルバイジャンの最終的な和平の日が近づきますように。人道的取り組みの継続、避難民の合法で安全な帰還、諸宗教と各共同体の信仰の場の相互尊重が促進されますように。

 サヘル地域、アフリカの角、スーダン、カメルーン、コンゴ民主共和国、南スーダンに混乱をもたらす緊張と紛争を忘れないようにしましょう。

 朝鮮半島で、恒久平和の条件を生み出す対話と和解のプロセスが開かれ、兄弟的な絆を強める日が近づきますように。

 つつましい幼子となられた神の御子が、アメリカ大陸の政治当局とすべての善意の人々を励ましますように。彼らが人間の尊厳を傷つける貧困と闘い、不平等を取り除き、痛ましい移民現象に対応するために、社会的・政治的対立を克服し、ふさわしい解決を見出すことができますように。

 幼子イエスは、プレゼピオから、わたしたちに声なき者の声となるようにと頼みます。水とパンがないために亡くなった罪なき人々の声、仕事が見つからない人たち、失業者たちの声、より良い未来を求め、過酷な旅と、恥知らずな人身取引が横行する中で、命を危険にさらしながら祖国を後にする人々の声となることをわたしたちに願っています。

 兄弟姉妹の皆さん、一年後に開幕する、恵みと希望の時、聖年が近づいています。この準備期間が、戦争に「ノー」と言い、平和に「イエス」と言うための、また、イザヤが預言するように、「貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」(イザヤ61,1) わたしたちを呼ばれる主の招きに喜びをもって答えるための、回心の機会となりますように。

 これらの言葉は、今日、ベツレヘムで生まれたイエス(参照 ルカ4,18)において成就しました。救い主、平和の君であるイエスをお迎えし、心を開きましょう。

 

25 12月 2023, 14:29