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「南スーダンの塩となり、光となるように」教皇、信者らに

南スーダン訪問最終日、教皇フランシスコは、首都ジュバで信者らと共ミサをとり行われた。

 教皇フランシスコは、南スーダン司牧訪問の最終日、現地時間2月5日(日)午前、同国の信者のためにミサをとり行われた。

 首都ジュバのジョン・ガラン霊廟を会場にした教皇ミサには、およそ10万人の信者が詰めかけ、ミサの後半になってもその数は増え続けた。

 ミサの進行は公用語の英語で行われ、聖書朗読にはアラビア語も用いられた。また、信徒の祈りはディンカ語、バリ語、ヌエル語、ザンデ語でも行われた。

 教皇は、この日曜日の福音朗読箇所(マタイ5,13-16)中の、「あなたがたは地の塩である。[…] あなたがたは世の光である」というイエスの言葉を取り上げ、説教を行われた。

 「皆さんはこの国の地の塩です」と話す教皇は、憎悪の連鎖を生む暴力、貧困をもたらす不平等など多くの傷を前に、自分を小さく無力に感じる時、塩の小さな粒を見つめるように招かれた。

 わずかな塩は、食べ物の上にかけられ、消えてしまうが、それゆえに食べ物全体に味を与えることができる。そのように、われわれキリスト者は、たとえ小さい存在であっても、大きな問題や暴力の狂気を前に自分の微力さを思っても、歴史を変えるための決定的な貢献をすることができる、と教皇は説かれた。

 イエスはわれわれが塩となることを望んでおられる、と教皇は述べつつ、わずかな塩でもそれがなければ味は失われる、このわずかだが本質的な塩となって歴史を変えていくように、と励まされた。

 また、教皇は、「わたしは世の光である」(ヨハネ8,12)と言われるイエスご自身が、弟子たちにも「世の光」になるようにと言っておられる、と指摘。

 それは、わたしたちがキリストの光を受け入れるならば、光そのものであるキリストによってわたしたちも輝き、その神の光を発散させることができるということである、と話した。

 わたしたちはイエスから「山の上にある町」のように、「燭台の上のともし火」のように輝き、決してその光を消さないようにと招かれている。それはまわりの闇を心配するよりも、自分たちの生き方と業をとおして、人や社会を照らし続ける、ということである、と教皇は強調。

 そして、その力は主があたえてくださる。それは「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(参照 マタイ5,16)と話された。

 教皇は、信者たちが南スーダンの塩となって福音の兄弟愛の味を伝え、光となって善の光を投げかけ、和解した未来を築くことは可能であると皆に示して欲しい、と願われた。

 

05 2月 2023, 22:57