「良い選択を確認するためには」教皇一般謁見
教皇フランシスコは、12月7日、バチカンのパウロ6世ホールで、水曜日恒例の一般謁見を行われた。
この日の謁見で、教皇は「識別」をめぐるカテケーシスとして、「良い選択の確認」をテーマに講話された。
教皇のカテケーシスの要旨は次のとおり。
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「識別」のプロセスにおいて、選択の決断を下した後の段階に注意することも重要である。それは、その「選択が良かったことを確認するしるし」、あるいはそれを否定するしるしを読み取るためである。
様々な声の中で神の声を聞き分けるために、「時間」は本質的な判断基準となる。善い霊を見分けるためのしるしは、それが長い間持続する平安を与えるかどうかである。その平安は、調和、一致、熱心、熱意をもたらす。
たとえば、以前より半時間ほど多く祈ることを決意したとする。そうすることで、一日の他の時間をより良く過ごし、より落ち着きを感じ、不安が減り、仕事もきちんとこなし、難しかった他者との関係もより容易になるならば、これらのしるしは選び取った決断が良かったことを示している。
霊的生活は循環的なものである。ある選択が良いものであれば、生活中の他のすべての事柄にも良い影響を与える。それは神の創造性に寄与するものだからである。
選択の良し悪しを確認するために、決断に続く、その後の期間を読み取る際、そこで役立ついくつかの点について考えたい。
最初の点は、その選択を主の自分への愛と寛大に対する返事として考え得るか、というものである。その選択が、恐れや、愛情的な見返り、強制によるのではなく、主から自分が受け取った善に対する感謝から生まれたものであるかどうかを考えよう。
もう一つの重要な要素は、生活においてそれが自分のいるべき場所と感じられるかどうかである。また、自分はそこでより大きな計画の一部となり、自らの貢献をしたいと感じられるかである。
バチカンの聖ペトロ広場には、ベルニーニの柱廊の4列の柱が完全に重なり一列に見える地点が2つある。それと同様に、人も自分が求めていたものを見つけられる時がある。一日がより秩序を持ち、様々な関心が統合され、物事の重要度の正しい判断ができる時に、すべてが容易に進み、新たなエネルギーと力をもって、困難に立ち向かうことができるようになる。
選択の正しさを確認するためのさらなるしるしは、自分が決意したことに対し、自由でいられるか、ということである。それは、自分の選択を問い直したり、場合によってはあきらめることもでき、いかなる時もそこに主の教えを見出そうとする自由さである。
このような場合、神がわたしたちの大切なものを取り上げようとされるからではなく、わたしたちが執着を持たずに自由に生きることを望まれるからである。
わたしたちは自由の中でしか愛することができない。それゆえに、主はわたしたちを自由なもの、「ノー」とも言える自由なものとして創られた。
神にわたしたちの最も大切なものをお捧げすることは、わたしたちのいのちは神の愛情深い御手の中にあるという自覚のもとに、より良く、より真実な方法で生きることを可能にしてくれる。
聖書が「神への畏れ」と呼ぶもの、すなわち神を尊ぶ気持ちは、叡智の恵みを受け取るために欠かせない条件である。神への畏れは、他のあらゆる恐れを追い払う。なぜなら、その畏敬はすべての主であるお方に向けられているからである。神の御前で、何ものもわたしたちを動揺させることできない。
それを体験した使徒聖パウロは次のように記している。「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」(フィリピ4,12-13)。
神への畏れを知ることは、良い選択のために不可欠な要素である。そして、それは自分の力ではどうしようもできないこと、予測できないこと、たとえば、健康や、将来、親しい人々、自分の計画などについて安心をもたらしてくれる。
重要なことは、わたしたちの信頼が天地の主に置かれていることである。神はわたしたちを限りなく愛され、わたしたちがご自身と共に、何か驚くほどのもの、永遠のものを築けるとご存じである。聖人たちはその生涯を通し、このことを素晴らしい方法で示してくれた。
このように、祈りのうちに、自分の心で起こる出来事に注意を傾けながら、物事を選択し、少しずつ前進して行こう。