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教皇フランシスコ 2022年5月11日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場 教皇フランシスコ 2022年5月11日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場  (Vatican Media)

「ユディト、配慮ある寛大なその晩年」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、5月11日(水)、バチカンで一般謁見を行われた。

 教皇フランシスコは、5月11日、バチカンの聖ペトロ広場で、水曜日恒例の一般謁見を行われた。

 謁見中、教皇は「老年の意味と価値」をめぐるカテケーシスとして、旧約聖書続編「ユディト記」(16,21.23-24)をテキストに用い、「ユディト、感嘆すべき若き日、寛大な晩年」をテーマに講話された。

 教皇のカテケーシスの要旨は次のとおり。

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 今日は旧約聖書のヒロインの一人、ユディトについて話したい。ユディトは若く徳の高いイスラエル人の寡婦であった。ユディトはその信仰と、美しさ、賢さによって、ベトリアの町をアッシリア人の王ネブカドネツァルの軍総司令官ホロフェルネスの包囲から救った。

 この大冒険で主人公の役を果たしたユディトは、その後ベトリアに戻り、そこで百五歳まで立派な晩年を生きた。それは彼女にとって、今日の多くの人々も過ごしている、いわゆる「引退生活」であった。

 ユディトは100歳以上まで生きるという長寿の恵みを得た。今日でもたくさんの人々が引退後も長い年月を過ごしている。この自由に使える時間をどのように解釈し、どのように活かすべきだろうか。

 ユディトは若くして夫を失い、子はなかった。しかし、主から託された使命を最後まで果たしたという自覚のもとに、晩年を充実した平安な時として生きることができた。

 また、それは彼女にとって、物質的な遺産だけでなく、賢明さ、優しさといった遺産を、一族や共同体に遺すべき時でもあった。

 ユディトは晩年に「侍女を自由の身にした」。これは自分のそばにいた人に対する配慮ある人間的な眼差しのしるしである。高齢になると視力はやや衰えるが、心の眼差しはより深いものとなる。昔は見過ごしていた物事が、見えるようになる。

 主は若い人や強い人にだけ才能を託されるのではない。それは、それぞれに応じて皆に与えられている。わたしたちの共同体生活は、多くのお年寄りたちの才能とカリスマを享受すべきである。彼らは引退生活をおくっていても、活かすべき豊かさそのものである。

 そのためには、お年寄り自身にも、創造的な新しい視点と、寛大な奉仕の心が求められる。現役時代の能力は、今や、教え、助言し、築き、世話し、耳を傾けるということを通し、他者に与えるための財産となる。そして、できるならば、その能力は、習得の機会を持たない人々や、孤独に陥っている人々のために用いられるべきである。

 ユディトは侍女を自由の身にし、皆に配慮を尽くした。ユディトは、若い時、その勇気のために共同体の尊敬を得た。晩年は、その優しさによって共同体を自由と愛情で満たした。ユディトは憂鬱にむなしく時を過ごす引退生活者ではなかった。彼女は神が与えてくださった時間を恵みで満たす、情熱的な高齢者だったのである。

11 5月 2022, 16:09

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