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「内部を見つめ、遠くを見越す信仰の眼差しを」教皇、奉献生活者に

カトリック教会は、2月2日、「世界奉献生活の日」を記念した。

 カトリック教会は、典礼暦で「主の奉献」を祝った2月2日(水)、「第26回世界奉献生活の日」を記念した。

 教皇フランシスコは、この日の夕方、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、世界中の奉献生活者たちのためにミサを捧げられた。

 ミサ開始前、明かりを落とした大聖堂には、奉献生活者たちが手にするろうそくの火が静かに輝いた。教皇は「世の光」キリストを象徴するこれらのともし火を祝別、この後、参列者による光の行列が行われた。 

 説教で、ルカ福音書2章のイエスの神殿への奉献のエピソードを取り上げた教皇は、特に神のご自分の民への約束の完成を待って神殿にいたシメオンとアンナを見つめ、彼らの姿を通し、奉献生活を新たにするための鍵を示された。

 シメオンとアンナはメシアの訪れを待っていたが、彼らは決して受け身ではなかった、と教皇は話し、シメオンの「”霊”に導かれて神殿に行く」「幼子の中に救いを見出す」「幼子を腕に抱く」という3つの動きに注目された。

 シメオンが神殿に行ったのは「”霊”に導かれ」た(ルカ2,27)からであった。聖霊がシメオンの心に神への熱望を燃やし、彼の歩みを神殿へと向け、小さく貧しい幼子をメシアとして認めさせた。神は外見や力を誇示するものの中ではなく、小ささや弱さの中におられ、働いていることに聖霊は気づかせる、と教皇は話した。

 わたしたちはしばしば奉献生活の中で、結果や目標、成功や数などにとらわれてしまうことがある、と教皇は述べつつ、しかし聖霊はわたしたちに、日常的な忠実さ、託されたことへの従順さを育むことを望まれている、と語られた。

 教皇は、「毎日神殿に行き、待ち、祈っていたシメオンとアンナの忠実さはいかに美しいことか」と感嘆され、気を落とすことも、嘆くこともなく、聖霊が心に灯した希望の火を燃やし続けた彼らの姿を模範として示された。

 聖霊に動かされたシメオンは、幼子にキリストを認め、「わたしはこの目であなたの救いを見た」(ルカ2,30)と、神をたたえて言った。教皇は、信仰の偉大な奇跡は、目を開かせ、見方を変容させ、自分や他者、最も苦しい体験やあらゆる状況を新たな眼差しで見つめさせる、と述べた。そして、それはより深く、物事の表面を超えていく眼差しである、と話された。

 シメオンの年老いた目は、主とその救いを見た。では、わたしたちの目はどうだろうか。わたしたちは奉献生活にどのようなビジョンを抱いているのか。それはノスタルジックな後ろ向きな眼差しではないのか、それとも内部を深く見つめ、遠くを見越す信仰の眼差しであるのかを、教皇は問うように招いた。

 教皇は、主は奉献生活に新しい視点を養うためのしるしを与えてくださる、と述べ、そのしるしを見ないふりをして、変化を恐れ、無気力に過ごしてはいけない、と注意された。

 シメオンは幼子を腕に抱いた(参照 ルカ2,28)。教皇はこの「優しさと深い意味に満ちた福音書で唯一の場面」を観想。神は、わたしたちがイエスを信仰の本質・中心として受け入れるようにと、御子をわたしたちの腕の中に抱かせてくださった、と語られた。

 教皇は、わたしたちはしばしば多くのことに気を取られ、自分を見失っているが、すべての中心はキリストである、わたしたちは自分たちの生活にイエスを主としてお迎えするよう招かれている、と説かれた。

 両腕を広げキリストを受け入れ、そして人々をも信頼と謙遜をもって受け入れよう、と教皇は奉献生活者らを励まされた。

03 2月 2022, 11:37