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教皇「わたしたちを変える神のみことば」

教皇フランシスコは、「神のみことばの主日」のミサを捧げられた。

 教皇フランシスコは、1月23日(日)、バチカンで「神のみことばの主日」のミサを捧げられた。

 「神のみことばの主日」は、ラテン語訳聖書翻訳者、聖ヒエロニモ司祭教会博士の帰天1600年を前に発表された教皇フランシスコの自発教令「アペルイト・イッリス」(2019年9月)によって制定されたもの。聖書に対する宗教的かつ熱心な親しみを育むことを願い、「年間第3主日」に記念される。

 また、この日、教皇はミサの中で、男性2人と女性6人のカテキスタと、男性5人と女性3人の朗読奉仕者を任命する式をとり行われた。

 教皇は、2021年1月に、使徒的書簡「スピリトゥス・ドミニ」を通し、教会の朗読奉仕者と祭壇奉仕者に、男性だけでなく、女性も選任することができるよう、教会法を改定した。また、同年5月、自発教令「アンティクウム・ミニステリウム」をもって、「信徒カテキスタ」の務めを公式に定め、信者がその特性を生かしながら福音宣教へ積極的に取り組むことを励ましている。

 ミサの説教で教皇は、ルカ福音書4章のイエスが故郷ナザレの会堂で聖書を朗読する場面を観想された。

 イエスはナザレの会堂で、渡された預言者イザヤの巻物を開き、その一節を皆の前で朗読した後、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4,21)と話し始めた。

 「聖書の言葉は、今日、実現した」、すなわち、神のみことばはもう約束ではなく、イエスの中に肉となって、実現した、ということである、と教皇は強調。ナザレの会堂にいた人々のように、わたしたちも驚きをもってイエスの言葉に耳を傾けるよう、招かれた。

 教皇はこのエピソードに、「神を啓示する」と共に「わたしたちを人々のもとに遣わす」、みことばの二つの側面を示された。

 イエスはその公生活の始めに、イザヤ書の一節について説きながら、ご自身が選び取った使命をはっきりと示された。それは貧しい人に福音を告げ知らせ、圧迫されている人を自由にするという使命であった(参照 ルカ4,18)。こうして、イエスはまさに聖書を通して、わたしたちの貧しさをいやし、わたしたちの運命を心に留める神の御顔を啓示された、と教皇は話された。

 こうして、いつくしみの愛に満ちた神の御顔が啓示されるとき、わたしたちは人生に触れることも、人生を変えることもない一種の儀礼的な宗教性の中に閉じこもる誘惑に打ち勝つことができる、と教皇は述べ、神のみことばは、わたしたちを変え、複雑な問題の後ろにあきらめをもって隠れていたわたしたちを表に連れ出し、神への信仰と人へのいたわりを一致させるようにと励ます、と説かれた。

 教皇は、肉となられた言(ことば)は、わたしたちの中で肉となることを望まれ、わたしたちが生活から気をそらさず、毎日の生活の様々な状況に積極的に向い、兄弟たちの苦しみや貧しい人の叫びに耳を傾けるよう促す、と語られた。

 「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4,21)とイエスは言われる。神のみことばは、今日、わたしたちが生きているこの時代に、肉となることを望まれている、と教皇は説かれた。

 教皇はこのミサ中にカテキスタ、朗読奉仕者として任命される信徒たちの、イエスの福音に奉仕し、福音がもたらす喜びと自由を告げる重要な役割を励ましながら、世において、福音の預言的な、信頼に足りる告知者となること、それはわたしたち一人ひとりの使命でもある、とすべての信者に呼びかけられた。

24 1月 2022, 00:08