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カサマーリ・シトー会修道院の福者シメオーネ・カルドン神父と5人の同志殉教者 カサマーリ・シトー会修道院の福者シメオーネ・カルドン神父と5人の同志殉教者  (RAPH@SUOR)

カサマーリのシトー会殉教者ら列福

イタリアのカサマーリのシトー会修道院で、同院の殉教者6名の列福式がとり行われた。

 イタリアのカサマーリのシトー会修道院で、4月17日(土)、18世紀末に同院で殉教したシメオーネ・カルドン神父と5人の同志殉教者の列福式がとり行われた。

 この列福ミサは、教皇フランシスコの特使として同地を訪れた、列聖省長官マルチェッロ・スメラーロ枢機卿によって司式された。

 イタリア中部ラツィオ州のヴェロリ近郊にあるカサマーリ修道院は、11世紀前半にベネディクト会の修道院として始まり、12世紀より、シトー会の重要な一拠点となった。

 このたび列福された6人のシトー会士、シメオーネ・カルドン神父と、ドメニコ・ザブレル神父、アルベルティーノ・メゾネイト修道士、モデスト・バーガン修道士、ゾシモ・ブランバット修道士、マトゥリーノ・ピトリ修道士が生きた18世紀は、イタリア半島がフランス革命やナポレオンによる侵攻の影響を受けた動乱の時代であった。

  カサマーリは、当時の教皇領の南部、ナポリ王国との境界近くにあった。1798年末、ローマにフランス軍が侵攻し、ローマ共和国(1798-1799)樹立を宣言。1799年の1月には、さらにフランス軍はナポリに入り、ナポリ王国に代わるパルテノペア共和国(1799.1-1799.6)を立ち上げた。

  しかし、この頃、北イタリアでフランス軍がオーストリア軍に一時押し返されると、ナポリに進駐したフランス軍は北へと引き上げ始めた。

 ナポリを後にしたフランス軍の兵士たちは略奪や暴力行為を行いながら北上し、1799年5月13日、カサマーリの修道院にやって来た。修道者らが終課を唱えている時、兵士たちが乱入。シトー会士らは疲れた空腹の兵士たちに食べ物を与えたが、兵士たちはそれを食べ終わると略奪を始めた。それを見て多くの会員たちは逃げ出したが、6人は聖体を冒涜から守るためにその場に留まり、兵士たちの怒りの犠牲となり殺害された。

 教皇フランシスコは、4月18日(日)の正午の祈りの集いで、前日カサマーリでとり行われた列福式について報告。

 「1799年、ナポリから引き上げたフランス兵たちが教会や修道院を略奪していた時、これらの柔和なキリストの弟子たちは、聖体を冒涜から守るために、英雄的な勇気をもって、いのちを捧げました」と話された。

 これらの殉教者の証しがわたしたちを神への忠実へと駆り立てるようにと教皇は願うと共に、社会を変容し、より正義と兄弟愛に満ちたものにする、神の力を強調された。

18 4月 2021, 18:44