検索

Vatican News
教皇フランシスコによる一般謁見 2021年2月3日 教皇フランシスコによる一般謁見 2021年2月3日  (Vatican Media)

「典礼の中心におられるキリスト」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、2月3日(水)の一般謁見で、「典礼における祈り」をテーマに講話された。

 教皇フランシスコは、2月3日(水)、一般謁見をバチカン宮殿からビデオ中継で行われた

 謁見中の「祈り」をめぐるカテケーシスで、教皇は「典礼における祈り」をテーマに講話された。

 教会の歴史には、公的な典礼の霊的重要性を認めない内面主義的なキリスト教への誘惑が時々見られた、と教皇は述べ、しばしばこうした傾向は、宗教的純粋性の行き過ぎた主張のもとに、外面的な儀式に重きを置かず、公的典礼を無用な重荷、あるいは有害とみなす態度であった、と説明。

 実際、教会の中には、典礼の時間をふさわしい形で統合することができない、ある種の傾向を見ることができ、たとえば、多くの信者たちがミサへの参加を欠かさないにも関わらず、信仰や霊的生活の糧を別の源、別の信心から得ていることも少なくない、と指摘された。

 教皇は、第二バチカン公会議の「典礼憲章」は、キリスト教生活における典礼の重要さをくまなく系統的な方法で明示しているほか、「カトリック教会のカテキズム」でも、「教会の秘跡の典礼において、救いの神秘を告げ、現在化し、共有化させるというキリストと聖霊の使命は、祈る人々の心の中で続けられる」(n.2655)と、聖なる神秘の記念に基礎を置かないキリスト教の霊性は存在しないことを教えている、と話された。

 キリストは聖霊において秘跡のしるしを通して現存されるゆえに、信者は秘跡に与る必要があり、典礼のないキリスト教は、キリスト不在のキリスト教である、と教皇は説いた。

 たとえそれが牢や迫害下の隠れた場所で行われる簡素な儀式であっても、キリストは現存され、信者たちにご自身を与えられる、とも話された。

 キリスト者の祈りは、イエスの秘跡的現存を自分のものとする。すなわち、典礼表現に「食べる」という自然な行為が用いられているように、わたしたちの外にあるものが、祈りを通して、わたしたちの一部となる、と教皇は語った。

 また、ミサは、観客のようにただ眺め、耳を傾けるものではない。ミサは司祭だけでなく、すべての信者によって「記念される」ものであり、その中心にはキリストがおられ、わたしたちは異なる賜物と役割を持ちながら、典礼の主役であるキリストの行為のもとに一致するのである、と教皇は話した。

 初代教会の信者たちが礼拝を始めた時、彼らが聖霊の光と力のもとに、キリストの行いと言葉をよみがえらせながら、自分たちの生活を神への霊的な捧げものとする恵みを願ったことを教皇は思い起しつつ、このようなアプローチは真に「革命的」なものであった、と振り返った。

 そして、教皇はこうした霊性をよく表すものとして、「兄弟たち、神の憐みによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして捧げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ12,1)と記す、使徒聖パウロの書簡を引用された。

 キリスト者は生活を礼拝とするよう招かれている、と教皇は述べ、そのためには祈り、特に典礼の祈りが不可欠である、と強調された。

03 2月 2021, 17:32