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Vatican News
2020.06.15 Vangelo del giorno pane mani donare dono

教皇の2021年度四旬節メッセージ

教皇フランシスコは、2021年度の四旬節メッセージを発表された。

 カトリック教会の典礼暦は、2月17日の「灰の水曜日」と共に、「四旬節」を迎える。

 復活祭の準備期間である「四旬節」を有意義に過ごすことができるように、毎年、教皇は信者らに向け、四旬節メッセージをおくられている。

 2021年度のテーマは、「今、わたしたちはエルサレムに上っていく…」(マタイ20,18)。

 教皇はこのテーマに、自身の受難と死と復活を弟子たちに告げながら、御父のみ旨を果たし、世を救うという自分の使命の深い意味を明かし、その使命に参与するように招くイエスの姿を観想された。

 教皇は今年の四旬節に向けたメッセージで、イエスが説教の中で挙げている「断食」「祈り」「施し」(参照:マタイ6,1-18)を、キリスト者たちの回心の条件・表現として改めて提示。

 そして、清貧と物事を断つこと(断食)、傷ついた人への愛の眼差しと行い(施し)、御父と交わす子としての対話(祈り)は、誠実な信仰、生き生きとした希望、積極的な慈愛の業を具体化することを助けるもの、と述べている。

 物事を断つ体験としての「断食」は、それを行う者に神の恵みを再発見させる、と教皇は記し、清貧を受け入れ、断食を行う者は、貧しい人たちと共に貧しき者となり、受け取り、分かち合う愛の豊かさで満たされる、と説いている。

 教皇は、四旬節は「信じる時」、わたしたちの生活の中に神を受け入れ、わたしたちのもとに「住んでいただく」ための時である(参照 ヨハネ 14,23)、と強調する。

 断食するとは、氾濫する情報や消費物など、余計な物事からわたしたちを解放し、心を救い主なる神の御子に開け放つことである、と書いている。

 希望は、わたしたちが歩み続けることを可能にする「生きた水」と教皇は表現しつつ、現在人々が体験している、すべてがはかなく不確かに見えるこの不安な状況の中で、希望を語ることは挑発的にさえ思われるかもしれない、と述べている。

 しかし、四旬節は「希望を持つ時」、わたしたちが不当に扱っている被造物をいたわり続ける方である「神の忍耐に眼差しを向ける時」、と教皇は説き、「神と和解させていただきなさい」(2コリント5,20)という、聖パウロの呼びかけを繰り返された。

 「和解における希望」へと招く教皇は、秘跡において赦しを受けることで、わたしたちは「赦しを広げる者」となり、神の赦しは、わたしたちの言葉や行いをも通して、「兄弟愛の復活」を体験させてくれる、と述べている。

 教皇は、四旬節において、力づけ、慰め、活気づける励ましの言葉をかけることを忘れないようにと助言し、希望をもたらすには、無関心に囲まれた人に耳を傾け、心配事を分かち合い、微笑みかけ、元気を与える言葉をかけるだけで十分なことがよくある、と語っている。

 沈黙と祈りの中で、希望が内なる光として与えられ、わたしたちの使命の挑戦と選択を照らすことがある、だからこそ、祈りのために隠れた場所に行き、御父の優しさと出会うことは重要である(参照 マタイ6,6)と教皇は指摘している。

 「施し」について教皇は、すべての人への思いやりと憐みにおいてキリストに倣う、生きた慈愛の業は、わたしたちの信仰と希望の最も尊い表現である、と強調。

 「慈愛は、他者の成長を見ることを喜び、それゆえに、孤独な人、病者、ホームレス、軽視される人、貧しい人など、苦しみの中に置かれた人を見て、自分も苦しむ。」

 「慈愛は、心の跳躍であり、それはわたしたちを自分の殻から外に引き出し、分かち合いと交わりの絆を生み出させる。」

 「慈愛は、わたしたちの生活に意味を与え、慈愛ゆえに、はく奪され泣く人を同じ家族の一員、兄弟、友人としてみなすことができる。わずかなものも、愛と共に分かち合うならば、それは尽きることがなく、命と幸福を蓄えることになる。このように、わたしたちの施しは、大小に関係なく、喜びと単純さをもって行われるべきである。」

 と、教皇は、慈愛についてこのように述べている。

 さらに、教皇は、「慈愛の四旬節を過ごすとは、新型コロナウイルスのパンデミックのために苦しみ、見捨てられた人たちをいたわることを意味する」とも述べ、未来への大きな不安の中で、神の「恐れるな、わたしはあなたを贖う」(イザヤ43,1)という言葉を思い起しつつ、慈愛の業と共に信頼の言葉をもたらし、神が皆を子として愛しておられることを伝ようと、信者らを励ましている。

13 2月 2021, 09:15