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教皇フランシスコ司式による「世界奉献生活の日」のミサ 2021年2月2日 バチカン・聖ペトロ大聖堂 教皇フランシスコ司式による「世界奉献生活の日」のミサ 2021年2月2日 バチカン・聖ペトロ大聖堂 

奉献生活者の日:教皇「神の忍耐の観想と、シメオンの忍耐の追求を」

「主の奉献」を祝った2月2日、教皇フランシスコは、「世界奉献生活の日」のミサを捧げられた。

 典礼暦は、2月2日、「主の奉献」の祝日を迎えた。

 この日は、カトリック教会の「世界奉献生活の日」が記念される。

 同日夕方、教皇フランシスコは、バチカンの聖ペトロ大聖堂の司教座の祭壇で、奉献生活者らと共にミサを捧げられた。

 ミサの説教で教皇は、律法に従って主に捧げられるためにマリアとヨセフに連れられ神殿に来たイエスを見たシメオン老人が、幼子をメシアと認め、腕に抱き、神を称える場面を観想された。

 そして、教皇は、「イスラエルの慰められるのを待ち望み」(ルカ2,25)、全生涯をかけてメシアとの出会いを待っていたシメオンの「忍耐」に思いを深められた。

 シメオンはすでに高齢であったが、その長い人生の傷や失望にも関わらず、彼の心の炎はまだ燃えており、「わたしはこの目であなたの救いを見ました」(参照:ルカ2,30 )と主に言える日まで、彼の希望は目覚め続けていた、と教皇は語った。

 では、シメオンはこの忍耐をどこで学んだのか。教皇は、彼はそれを「憐み深く恵みに富む神、忍耐強く、いつくしみとまことに満ちた神」(参照:出エジプト記34,6)を常に主において認めてきた、民の祈りと生活から学んだ、と話した。

 また、教皇は、シメオンの忍耐は、疲れを知らずわたしたちを待ち続ける、神ご自身の忍耐の反映であると指摘。神は、わたしたちが離れると探しに来られ、わたしたちが転ぶと立ち上がらせ、道を誤ったわたしたちが戻れば両腕を広げ待ってくださる方、と話された。

 このように、神の忍耐とシメオン老人の忍耐を見つめた教皇は、それではわたしたちの忍耐はどうだろうか、と尋ねた。

 忍耐とは、様々な試練の重みに耐え、他者の異なる性格を受け入れ、すべてが無駄と思われる時も善の中に留まり、歩むことをあきらめない、魂の力である、と教皇は説き、その忍耐が具体化される場所として、「個人の生活」「共同体の生活」「世界に対する態度」の三つを挙げられた。

 忍耐は、自分自身、共同体、いつくしみある世界を見つめることを助ける、と述べた教皇は、「聖霊がもたらす忍耐を自分の生活に受け入れているか」「共同体の中で、互いに支え合い、兄弟的生活の喜びを表しているか」「世界に対して、自分たちの奉仕を忍耐強く行っているか」と問いながら、これらを奉献生活の挑戦として示された。

 わたしたちは過去のノスタルジーに囚われていることも、いつも同じことの繰り返しに留まることもできない、勇気ある忍耐をもって歩み、新しい道、聖霊の導くものを求めることが必要、と教皇は呼びかけた。

 そして、神の忍耐を観想し、シメオンの信頼に満ちた忍耐を求めつつ、わたしたちも救いの光をこの目で見、それを全世界にもたらすことができるように、と祈られた。

03 2月 2021, 10:15