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「灰の水曜日」頭に灰を受ける教皇フランシスコ 2021年2月17日 「灰の水曜日」頭に灰を受ける教皇フランシスコ 2021年2月17日  (Vatican Media)

灰の水曜日:教皇「四旬節は神のもとに帰る旅路」

カトリック教会の典礼暦は、「灰の水曜日」を迎えると共に、「四旬節」に入った。

 カトリック教会の典礼暦は、2月17日、「灰の水曜日」を記念すると共に、復活祭前の準備期間、「四旬節」に入った。

 「四旬節」は、キリストが公生活の開始前に荒れ野で行った40日間の断食に結びつくもので、「灰の水曜日」から復活祭の前日までの、日曜日を除く40日間をいう。この間、悔い改め、祈り、秘跡を受け、断食、節制、施し、愛徳の実践などを通して、主の復活によりふさわしく与る精神的準備を行う。

 教皇フランシスコは、同日午前、バチカンの聖ペトロ大聖堂でミサを捧げられ、この中で死と悔い改めの象徴としての灰を頭に受ける「灰の式」をとり行われた。

 この四旬節の初日、教皇はミサの説教で、「今こそ、心からわたしに立ち帰れ」(ヨエル2,12)という、神の御心から発せられた招きを示された。

 「四旬節は、神のもとに帰る旅路」と述べた教皇は、多忙を言い訳に、神と向き合うことを先延ばしにし続けるわたしたちに、今、神自らがご自分のもとに帰れと呼びかけておられる、と話された。

 神が「『心から』立ち帰れ」と言われるように、その回心は「心から」のものでなくてはならず、それゆえ「四旬節は、わたしたちの全生活、全身全霊をもって歩む旅」である、と教皇は語った。

 「四旬節は、小さな信心業の集積ではない。それは自分の心の向かう先を識別する時」と教皇は話し、「自分の人生は神に向かっているのか、『わたし』に向かっているのか」、「主のみ旨にかなうことを喜びとするのか、人々の間で目立ち、称賛され、人気を得るために生きるのか」をわたしたちは自問するべき、と述べられた。

 「四旬節は、隷属からの解放の旅」でもある、と教皇は話し、エジプトを脱出し、約束の地に向かう神の民が砂漠を渡りながらエジプトを懐かしんだように、わたしたちも悪い習慣の誘惑や偽りの安泰に囚われるとしても、歩むためにはこれらの幻想を脱ぎ捨てることが必要、と語られた。

 教皇は、神に向かって歩み続けるための助けを、神のみ言葉の中に求めるよう勧められた。

 「放蕩息子」のように、「家の香り」を忘れ、大切なものを浪費し、虚しい心を抱くわたしたちは、歩いては何度も転ぶ子どもであり、そのたびに御父に助け起こしてもらわなければならない。「御父の赦しは常にわたしたちを立ち直らせる。赦しの秘跡に与ることは、御父のもとに帰る旅の第一歩」と教皇は述べた。

 教皇は次に、わたしたちは、イエスにいやしていただいた重い皮膚病を患っていた人のように、感謝するためにイエスのもとに戻らなければいけない、と話した。そして、戻って来て、イエスの足もとにひれ伏したこの人に倣い、わたしたちも自分の罪と惨めさをもったままイエスの御前に進み出て、解放と癒しを願うべき、と説かれた。

 さらに、教皇は、聖霊のもとに帰るようにと信者らに呼びかけた。「灰の水曜日」に頭に受ける灰は、わたしたちは塵であり塵に帰ることを思い出させるが、この塵の上に神はいのちの霊を吹かれた。それゆえ、わたしたちは儚い物事を置き去り、いのちの与え主、わたしたちを灰からよみがえらせる炎である聖霊に立ち帰らなくてはいけない、と話された。

 また、教皇は、神のもとに帰ることは、自分の力ではできず、神の恵みを受け入れること、自分は神の憐みを必要とする者であると認めることにより可能になる、と強調。「謙遜の道こそが、神のもとに帰る正しい道」であると説いた。

 今日、わたしたちは頭を垂れて灰を受け、聖週間には、さらに身を低くして兄弟たちの足を洗うことになる、と教皇は指摘しつつ、「四旬節は、謙遜に自分の内面に降りていくと同時に、他者のために自分の身をかがめる時」、「救いとは栄光に上ることではなく、愛のために身を低めることと知る時」と語られた。

 教皇は、四旬節の歩みの中で迷わないために、十字架のイエスの前に、神のその沈黙の学び舎の前に立ち、イエスの傷を見つめるようにと招いた。そして、その傷はわたしたちのために開き、その傷によってわたしたちは救われたことを思い起こすよう呼びかけられた。

 説教に続く「灰の式」で、まずご自分の頭に灰を受けた教皇は、次いで他の聖職者らに灰を授けられた。

17 2月 2021, 17:16