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教皇フランシスコ 「主の公現」の祭日のミサ 2021年1月6日 教皇フランシスコ 「主の公現」の祭日のミサ 2021年1月6日  (@VaticanMedia)

教皇「主を礼拝することを東方三博士から学ぶ」

教皇フランシスコは、1月6日(水)、「主の公現」の祭日のミサを捧げられた。

 カトリック教会の典礼暦は、1月6日(水)、「主の公現」の祭日を迎えた。

 同日午前、教皇フランシスコは、バチカンの聖ペトロ大聖堂の司教座の祭壇でミサを捧げられた。

 「主の公現」の祭日には、東方から占星術の学者たちがベツレヘムで生まれた幼子イエスを訪問した出来事をはじめ、神の御子イエス・キリストを通し、神の栄光がすべての人々に顕現したことを記念する。

 教皇はミサの説教で、マタイ福音書中の、東方三博士が星に導かれ、ベツレヘムの幼子のもとに到着した時の、「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝んだ」(マタイ2,11)という一節を取り上げつつ、信者らをこの場面の観想へと招いた。

 今日の時代、誤った礼拝の対象としての偶像ではなく、主を礼拝するために時間を捧げることが、これまでになく必要とされている、と述べた教皇は、いかに主を礼拝するべきかを東方三博士たちから学ぼう、と話された。

 そして、教皇は、このミサで読まれたイザヤ書(60,1-6)とマタイ福音書(2,1-12)から、主を礼拝することの意味を学ぶために役立つものとして、「目を上げる」「出かけていく」「見つめる」という3つの態度に注目された。

 「目を上げて、見渡すがよい」(イザヤ60,4)。バビロン捕囚から帰還して間もないエルサレムの共同体に向けた、預言者イザヤのこの言葉は、疲労感や嘆きを脇に置き、自分中心の閉じた考えや不安から抜け出すようにとの招きである、と教皇は述べた。

 主を礼拝するには、わたしたちの困難をご存じであり、わたしたちの祈りと涙に決して無関心ではない主に信頼し、目を上げて、問題や苦しみを新しい視点でとらえることが必要と話された。

 次に、教皇は、東方三博士がベツレヘムの幼子を礼拝する前に、長い旅に直面しなければならなかったことを指摘。主の礼拝にたどり着くには、内面の成熟という旅を経ることが必要、と説かれた。

 わたしたちも、東方三博士のように、人生の歩みの中で学び、挫折や失望に負けることなく、主イエスを目指しながら、謙虚さと喜びをもって成長していこう、と教皇は呼びかけられた。        

 ベツレヘムの幼子のもとに到着した三博士は、家に入り、幼子が母マリアと共におられるのを見て、ひれ伏して幼子を拝んだ、とマタイ福音書は記している。

 博士たちがイエスを拝んだのは、母と共にいるこの貧しい幼子が「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」(参照:マタイ2,2)であると認めたからである、と教皇は述べ、主を礼拝するには、自分の前にある物事の奥深くを見つめる眼差しを持たなくてはならない、と語った。

 教皇は、わたしたちが神を真に礼拝する者となり、人類を抱擁する神の愛のご計画を、自分たちの人生を通して証しすることができるようにと祈られた。

06 1月 2021, 15:05