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教皇フランシスコ、新枢機卿らと、待降節入りのミサ 2020年11月29日 教皇フランシスコ、新枢機卿らと、待降節入りのミサ 2020年11月29日  (Vatican Media)

「祈り、愛し、目覚めて待つ」教皇、新枢機卿らと待降節入りのミサ

教皇フランシスコは、11月29日、新しい枢機卿と共に、待降節第一主日のミサを捧げられた。

 11月29日(日)、カトリック教会の暦は、降誕祭の準備期間である「待降節」に入ると共に、新しい典礼暦年をスタートさせた。

 同日午前、教皇フランシスコは、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、前日の枢機卿会議で叙任された新枢機卿と共に、待降節第一主日のミサを捧げられた。

 説教で教皇は、「近くにいること」、「目覚めていること」を、待降節のキーワードとして挙げ、待降節とは、わたしたちのもとに降りて来られた「そばにおられる神」を記念し、福音書でイエスが呼びかけておられるように、主を「目を覚まして」待つ時である、と話された。

 教皇は、ミサ中の、第一朗読のイザヤの言葉「どうか天を裂いて、降ってください」(イザヤ63,19)や、答唱詩編の「わたしたちを救うために来てください」「万軍の神よ、立ち帰ってください」(参照:詩編80,3. 15)などにあふれる、神に自分たちのそばにいて欲しいという、強い願いを指摘。

 この待降節に、わたしたちもそばにおられる神を意識すると共に、「主イエスよ、来てください」(参照:黙示録22,20)と、生活の中で繰り返し呼ぶようにと招かれた。

 続いて、教皇は、主を呼びながら、わたしたちは「目覚めていること」を学ばなければならない、と説かれた。

 この日の福音朗読の中でも、イエスは「目を覚ましていなさい」と4度も繰り返している(参照:マルコ13,33-35.37)と教皇は述べ、「人生の一つの過ちは、多くのことに気をとられ、神の訪れに気がつかないことである」と話された。

 目を覚ましている必要があるということは、すなわちわたしたちは夜の中にいて、朝の訪れを待ちながら、気を落とさずに、希望をもって生きるべき、ということである、と教皇は語った。

 目を覚まして待つ中で、陥る危険のある「眠気」として、教皇は「生ぬるさの眠気」と「無関心の眠気」を示した。

 「生ぬるさの眠気」とは、神への愛を忘れ、神と向き合う努力をせず、平凡で世俗的な精神によって信仰を蝕むリスクのことであり、これに対して、祈りは闇に火を灯し、神の近くに留まることを可能にする、と話された。

 一方、「無関心の眠気」とは、自分のことだけを考え、他者に無関心になることであり、心に闇が降りてきた状態である、と教皇は説明。

 これに対して、愛徳の業は、キリスト教生活に脈打つ鼓動となって、この無関心の眠気からわたしたちを解放するだろう、と語られた。

 祈ることと、愛すること、これが目を覚ましていることである、と説く教皇は、「イエスよ、わたしたちのそばに来てください。あなたは光です。わたしたちを生ぬるさの眠気と、無関心の闇から起してください」と祈られた。

29 11月 2020, 16:23