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教皇フランシスコ 2020年9月13日(日)のお告げの祈り 教皇フランシスコ 2020年9月13日(日)のお告げの祈り 

「勇気をもって赦しの力に自らを開く」教皇、日曜の集い

教皇フランシスコは、日曜正午の集いで、マタイ福音書の「憐み深い王と仲間を赦さない家来のたとえ」をテーマに説教を行われた。

教皇フランシスコは、9月13日(日)正午、バチカンで「お告げの祈り」を巡礼者と共に唱えられた。

祈りの前に、教皇はこの日の福音朗読箇所(マタイ18,21-35)を取り上げ、説教を行われた。

この箇所で、イエスは、憐み深い王と仲間を赦さない家来のたとえを用いて、赦しについて教えている。

教皇は、このたとえ話で繰り返される「どうか待ってください。きっとお返しします」という嘆願の言葉(参照:マタイ18,26、18,29)に耳を傾けつつ、家来の多額の借金を憐みから帳消しにする王と、王からその憐みを受ける一方で自分が仲間に貸した金は厳しく取り立てる家来の、二つの異なる態度を比較された。

このたとえ話の中心は、家来の一万タラントンもの借金を帳消しにする、主君の憐みに満ちた赦しにある、と述べた教皇は、その負債は膨大な額だけに、赦しも非常に大きいものである、と話された。

しかし、そのすぐ後で、この家来は、自分に借りがある仲間に対して、容赦ない態度を見せる。家来は仲間に百デナリオン貸していたが、待ってほしいとの願いに耳を貸さず、借金を返すまでと、仲間を牢に入れてしまった。

ここでは王にたとえられている、神の態度において、正義はいつくしみに満ちているが、それに対し、人間の態度は単なる正義に止まっている、と教皇は指摘。

人生において、正義だけではすべての物事は解決しないゆえに、イエスはわたしたちに、勇気をもって赦しの力に自らを開くようにと励ましている、と述べられた。

いつくしみの愛の必要について、イエスは、このたとえ話に先立つ「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか」(マタイ18,21)というペトロの質問に、「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」(同18,22)と答えている。

もし、わたしたちが生きる上で赦しといつくしみを身に着けていたならば、いったいどれだけの苦しみや争いを避けることができただろうか、と問う教皇は、いつくしみの愛を、家族、共同体、教会、社会、政治など、すべての人間関係にもたらすべき、と説かれた。

人は平和な時には赦すことができても、後で怨恨が再び頭をもたげることもある、とも教皇は述べ、赦しとはその時だけのものではなく、保たれていくべきもの、と話された。

教皇は、このたとえ話は、「主の祈り」の一文、「わたしたちの罪をお赦しください。わたしたちも人を赦します」(マタイ6,12)の意味を豊かに受け取ることができるように助けるもの、と語り、わたしたちが他者を赦せないならば、神の赦しを自分たちのために求めることはできない、と強調された。

 

 

13 9月 2020, 18:49