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教皇フランシスコ、アンジェラスの祈り 教皇フランシスコ、アンジェラスの祈り 

教皇「洗礼の意義を深く理解しよう」

キリストの洗礼の祝日、教皇フランシスコは幼児洗礼を司式した。

1月12日、主の洗礼の祝日にあたり、教皇フランシスコは、システィーナ礼拝堂にて、子どもたちに洗礼の秘跡を司式し、幼児洗礼の重要性について語られた。

毎年の恒例に従って、この日の朝9時半から、教皇はミケランジェロの壁画で有名なシスティーナ礼拝堂で、32人の幼児たちに洗礼を授けた。

その際、教皇は、「子どもたちに洗礼を授けるのは子どもたち自身にとって大変重要であり、この上なく貴重な贈り物をすることである。洗礼によって聖霊が授けられ、子どもたちはこの聖霊の恵みに支えられ強められ、健やかに成長していける」と、両親や参列者たちに強調された。

洗礼式の後、教皇は、聖ペトロ広場に面する書斎の窓に姿を現し、日曜正午のアンジェラスの祈りを唱えられた。

祈りに先立つ説教で、教皇は次のように話された。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん

主の洗礼の祝日にあたり、わたしたち自身の洗礼の恵みのありがたさについて考えましょう。

わたしたちは自分の誕生日をよく覚えていても、受洗日をしばしば忘れてしまいます。毎年、自分が洗礼を受けた日を思い出し、記念するということは、大変重要です。それは、わたしたちたちにとって限りなくよいお方である神に対する、感謝の義務を果たすことでもあります。

天の御父の愛する子であったイエスのように、わたしたちも水と聖霊によって生まれ変わった、神の愛する子であることを知っています。

兄弟姉妹の皆さん、わたしたちは他の兄弟姉妹たちに対して、限りない御父の愛を証し伝えていく偉大な使命を負っています。

福音書は、神の御子、救い主であるキリストは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた、と伝えています。すべての人々を清めるために来られた救い主は、清められる必要はありませんでした。ヨハネは、キリストを前にして、躊躇します。しかし、キリストは、他の人々と同じように、洗礼を受けることを望まれます。

神の側に完全に立つキリストには、何も清める必要はありませんでした。しかし、完全に神のものであったキリストは、また同時に、まったくわたしたちと同じ人間の側にも立つことを望まれたのです。

神と人間の間には、乗り越えることのできない溝、堺、違いがあります。まったく神の側にあったキリストが、わたしたち人間の側にも立ってくれたことによって、神と人間の間の溝は、埋められたのです。神と人間の間に、いわば橋が架けられたのです」。

12 1月 2020, 15:43