待降節:教皇、プレゼピオ発祥の地、グレッチョへ
カトリック教会の暦は、12月1日(日)、クリスマスを準備する期間「待降節」を迎えると共に、新しい典礼暦年のサイクルを開始した。
「待降節」最初のこの日曜日、教皇は、アッシジの聖フランシスコにゆかりをもつ巡礼地で、特にプレゼピオ(イエスの降誕の場面を再現した馬小屋の模型)の発祥の地として知られる、イタリア中部、ラツィオ州リエーティ県のグレッチョを訪問された。
教皇は、2016年にも私的な形で同地を訪ねており、今回は2度目の訪問となる。
グレッチョは、標高約700メートル、人口およそ1500人の町。アッシジの聖フランシスコは、たびたび同地を訪れ、隠遁生活をおくっていた。
1223年、グレッチョに滞在していた聖フランシスコは、降誕祭の15日前に、友人のジョヴァンニ・ヴェリタに、馬小屋を作るのに適した洞窟を探し、そこに牛とロバを連れて行き、干し草と飼い葉桶を置き、ベツレヘムの洞窟を再現するよう依頼した。
そして、1223年の降誕祭の夜、最初のプレゼピオを前に深い観想状態にあった聖フランシスコは、イエス・キリストの名を口にするだけで唇を震わせ、目は涙で濡れ、あまりの感動を抑えるため、その名を呼ぶ必要があるたびに、「ベツレヘムの幼子」と呼んだという。
グレッチョの巡礼地は、聖フランシスコの最初のプレゼピオの洞窟を中心に、1288年、最初の形が整えられた。ラチェローネ山の絶壁に造られたこの巡礼地は、修道院と2つの聖堂、聖フランシスコの隠遁所などから構成される。
グレッチョに到着された教皇は、リエーティ教区の司教や、フランシスコ会関係者らに迎えられた。
「プレゼピオの洞窟」に下りられた教皇は、聖フランシスコが幼子イエスを礼拝する場面と、聖家族が描かれた古い壁画を前にしばし祈られた。
続いて、教皇は洞窟の祭壇で、プレゼピオの意味と価値をめぐる書簡に署名された。
この書簡を通し教皇は、「キリスト者たちにこれほどにも親しまれる、プレゼピオの素晴らしいしるしが、常に驚きと感嘆を呼び覚ますように」と願われた。
洞窟から外に出られた教皇は、詰めかけた大勢の子どもたちからにぎやかな歓迎を受けられた。
聖堂でとり行われたみことばの祭儀では、子どもたちの歌う聖歌が、降誕祭を待ち望む雰囲気を醸し出していた。
祭儀中、聖書朗読と共に、教皇のプレゼピオをめぐる書簡が紹介された。
日が暮れた山中の巡礼地で、教皇は地元の人々に見送られながらグレッチョを後にされた。