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 教皇一般謁見 教皇一般謁見 

水曜一般謁見: 教皇「交わりの中に、謙虚に,キリストを証しすることが必要」

ローマの初夏の真っ青な青空の下、6月12日の教皇水曜一般謁見は、 聖ペトロ広場で定刻通り、世界各国からの巡礼者たちの参列を得て行われた。

教皇フランシスコは聖書の使徒たちの宣教を解説しながら、キリスト者は社会にあって、どのようにキリストを証しすべきか、また孤立するのではなく、交わりの中にあることの重要性を説明された。

キリストの痛ましいご受難と十字架上での死の後、キリストの弟子たちは、輝かしい復活の喜びに満たされる。

キリストを中心とした12人の弟子たちの共同体は、ユダの裏切りにより崩壊し11人になってしまうが、使徒の頭、聖ペトロの提案により、共同体の識別によって、聖マチアが新たな使徒として選ばれ、新たに12人の使徒団として復活する。

聖書にによれば、使徒たちは初めからキリストを中心とする共同体として福音宣教に励んだ。各使徒たち、弟子たちは、それぞれの個性を保ちながらも、個々の違いを恐れず、共同精神を保ちながら行動した。

その中でなぜユダはキリストを裏切り、最後には自らの生命を断つようなことになったのか、教皇は考察する。

教皇はユダの最大の過ちを指摘する。それは何よりも心からキリストに属することをやめてしまったことである。キリストとの交わりを断つことによって、他の使徒たちとの交わり、ひいては他の隣人との交わりをも断ち、孤立してしまったということである。

師であるキリストの弟子であることをやめ、師以上の者になろうとしたことに大きな誤りがあった。キリストを売り渡し、その値で不毛の土地を買い、自らの血で汚すことになった。

使徒たちは生命を、祝福を、選んだが、ユダは生命ではなく死の道を選んでしまった。

聖書によれば使徒たちはキリスト復活後、常にキリストの母マリアを囲み一致して祈りの中に聖霊の降臨を待ったとある。教皇は、キリスト者として、キリストを証していくためにも、孤立するのではなく共同体、交わりの中にあることの重要性を強調された。

12 6月 2019, 18:11