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教皇フランシスコ、バチカンでの一般謁見 2019年5月22日 教皇フランシスコ、バチカンでの一般謁見 2019年5月22日 

「キリスト者はあらゆる状況で祈ることができる」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、一般謁見で、「主の祈り」をめぐる一連の考察をまとめられた。

教皇フランシスコは、バチカンで5月22日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇はこれまで続けられた「主の祈り」をめぐる一連の考察をまとめられた。

教皇は、キリスト教の祈りは、神を「父」という名のもとに大胆に呼ぶことから生まれる、と強調。

それは、単なる形式に留まらず、神の恵みによって得た、子としての親密さを表している、と話された。

イエスは御父を啓示し、わたしたちを神との親しさに導く方、と述べた教皇は、福音書の中に、イエスが御父に向かって祈る様々な場面や言葉を見ることができ、それらの表現の多くは、「主の祈り」とも関連していると説明。

一例として、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(マルコ14,36)と、苦悩と恐れの中にあっても「アッバ、父よ」と信頼をもって神に向かい、その御旨が果たされることを願うイエスのこの祈りに、「主の祈り」と同じ心を見出された。

また、教皇は、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27,46)というイエスの十字架上の叫びを観想。

一見「主の祈り」とは遠いように思われる苦悩の叫びにおいても、「わが神、わが神」の「わが=わたしの」というこの言葉が、神との絆の「中核」をなすと共に、信仰と祈りの「中心」にもなっている点に、「主の祈り」と共通するものを指摘された。

「キリスト者は、あらゆる状況において祈ることができる」と述べた教皇は、キリスト者は聖書の言葉や長い歴史の中で人々の心に湧いた表現をもって、慰めと愛を必要とする兄弟姉妹たちのことを、これからも御父に語り続けるだろう、と話された。

22 5月 2019, 17:28