一般謁見: 教皇「神からわたしたちも赦されたように人を赦すこと、それは想像を超える貴重な恵み」
教皇は謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、「主の祈り」をテーマに、「わたしたちが人を赦すように」という部分を考察され、次のように語られた。
「親愛なる兄弟姉妹の皆さん、神様がわたしたちを赦してくださったように、わたしたちも兄弟たちを赦しましょう。
「主の祈り」の中で、わたしたちは、わたしたちが人を赦すように、わたしたちの罪をも赦して下さい、と祈ります。教会の中には、誰も自分一人の力で存在する者はいません。誰もかれも皆、神によって存在します。ですから、いつも神に負い目があるのです。イエスは、人間同士の関係に、赦しの必要性を説かれます。
実際生活において、すべてが正義だけで解決されるものではありません。特に何かの悪が関わっている場合、正義だけにとどまるのではなく、新たな一歩をしるすために、愛と赦しが必要なのです。
悪は報復を要求します。しかし、どこかでそれを打ち破らなければ、悪も、復讐も、全世界を巻き込んでしまいます。
復讐の掟、やられたらやり返す、これは絶対にいけません。イエスは復讐ではなく、愛の掟をもたらしました。神がわたしにしてくださったことを、他の人にも返すことです。
自分には赦すことが出来ないと思うなら、主に赦せるよう恵みを願いましょう。なぜなら、赦しはお恵みなのですから。
わたしたちキリスト者は皆、神がいつもすべて赦してくださることを知っています。しかし、先ほど述べたように、赦しは恵みです。この恵みは、わたしたちからの働きをも要求します。たくさんもらった人は、たくさん与えなければなりません。たくさん赦された者は、たくさん赦すべきです。
もし、あなたが赦さないなら、神もあなたを赦さないでしょう。赦すということは、そんなに簡単なことではありません。自分の力だけではできないなら、主に赦す力を願いなさい。
愛は愛を呼び、赦しは赦しを呼ぶのです」。