受難の主日:教皇、バチカンで宗教行列とミサ
4月14日、「受難の主日」を迎え、カトリック教会の典礼暦は、復活祭直前の一週間で、キリストの受難を記念する「聖週間」に入った。
「聖週間」の初日、「受難の主日」は、イエスのエルサレム入城と共に、十字架の受難へと向かうその歩みを観想する。
この「受難の主日」は、カトリック教会の「世界青年の日」(教区レベル)でもある。
同日、バチカンの広場でとり行われた教皇フランシスコによるミサには、ローマ教区をはじめ、世界各国からの若い信者たちの姿が多く見られた。
「枝の主日」とも呼ばれるこの日は、ろばの子に乗りエルサレムに入るイエスに、群衆が自分の服や葉のついた枝を道に敷き歓呼したことを思い起こし、ミサの前にオリーブや棕櫚の枝を掲げ、宗教行列が行われる。
ミサに先立ち、教皇は聖ペトロ広場のオベリスク前で、参加者が持つ枝々を聖水をもって祝別された。
こうして、枢機卿、司教、司祭、修道者、信者たち、そして教皇は、聖歌が歌われる中、枝を掲げ、行列をつくり、祭壇の設けられた大聖堂前へと向かった。
ミサ中、ルカ福音書のイエスの受難(22,14-23,56)の朗読が行われ、人々はイエスの最後の晩餐、オリーブ山での祈り、逮捕、死刑判決、十字架上での死、埋葬にいたるまで、深く耳を傾けた。
教皇は説教で、イエスはご自身の「へりくだり」をもって、わたしたちに「信仰の道」を開かれた、と述べられた。
毎年「聖週間」の始まりを特徴づける二つの神秘、すなわち、人々の熱狂に包まれたイエスのエルサレム入城、そしてイエスが人々から受ける侮辱という、「歓喜の叫びと、残酷な憎悪」の対比を教皇は観想。
そのコントラストを、この日の儀式の、枝を掲げての宗教行列と、その後の「主の受難」の朗読に見つめられた。
このミサでは、日本語を含む、様々な言語で共同祈願が行われた。