聖金曜日:イエスの受難と死を観想し、十字架を崇敬する儀式、バチカンで
4月19日、教皇フランシスコは、イエス・キリストの受難と死を記念する「聖金曜日」の儀式をとり行われた。
この日の夕方、バチカンの聖ペトロ大聖堂で行われた「主の受難の儀式」では、ことばの典礼に続き、十字架の崇敬と、聖体拝領が行われた。
儀式は、祭壇前の床に伏した教皇の長い沈黙の祈りから始まった。
ことばの典礼では、主の僕の苦難と死についての預言が語られる「イザヤ書」(52,13-53,12)、罪の贖いのためにご自分を捧げ、救いの源となった偉大な大祭司イエスについて述べる「ヘブライ 人への手紙」(4,14-16; 5,7-9)に続き、イエスの受難と死が「ヨハネ福音書」(18,1-19,42)から朗読された。
教皇付説教師ラニエーレ・カンタラメッサ神父は、説教で、「軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負った」と「イザヤ書」(53,3)にある「この人」とは、ナザレのイエスであると述べ、イエスを、世界のすべての疎外された人々、侮べつされ傷つけられた全人類の代表として観想。
全歴史の中で最も偉大な人がわたしたちと同じ仲間であると、わたしたちは民族・宗教を超えて叫ぶことができる、と語った。
しかし、イエスは単に世界の疎外された人々の仲間であるということに留まらない、とカンタラメッサ神父は指摘。
「イエスは十字架につけられ、死に、復活した!イエスにおいて、完全な覆しが起こり、敗者は勝者になり、裁かれた者は裁く者となった」
「イエスは世界の疎外された人々に、尊厳だけではなく、希望を取り戻させた。復活祭は神によって計画され、キリストを通して実現された逆転の祭り、貧しい人や、見捨てられた人々の祭りである」
カンタラメッサ神父はこのように説いた。
説教に続いて、聖金曜日の盛式共同祈願が唱えられた。
十字架の崇敬では、十字架を手に助祭が入場。祭壇に向かいながら、三度歩を止め、そのたびに十字架を顕示し、「世の救い主、キリストがつけられた木の十字架を見つめよ」と、人々を招いた。
本廊脇で教皇は十字架を迎え、十字架上のイエスに接吻された。
この後、十字架は祭壇前にもたらされ、助祭、枢機卿、司教、司祭、修道者、信徒代表らによる崇敬が続いた。
最後に、教皇は祭壇上から十字架を会衆に示された。
聖体拝領式の後、会衆は沈黙のうちに解散した。