教皇フランシスコ「待降節はわたしたちの人生のもっとも大切なこと、兄弟たちの中にキリストを見出すことを教えてくれる」
教皇フランシスコは待降節は、人類に出会いに自らこの地上に降りてこられる神の子を迎えるための準備の時として与えられる貴重な時間であること、わたしたちの兄弟たちの中に現存するキリストの存在を認め愛し学ぶためためであることを繰り返し強調。
神の子、キリストは、クリスマスの祝日に私たちのもとに来られる。
貧しさの中に、謙虚な条件の中に誕生された神の子の歴史上の到来を記念するたびに、心から迎えようとする人々の中に神の子は再び来られる。
そして世の終わりには生者と死者を裁くために再び来られる。だからわたしたちはいつも希望を持って主の来臨に備えていなければならない。
教皇フランシスコは2016年11月27日、日曜正午のアンジェラスの祈りに際して、キリストの三様の来臨について話されている。
第一の来臨は受肉の神秘を通して、すなわちベトレヘムの馬小屋での誕生。
第二の来臨は現に毎日絶え間なく実現していることで、いつもわたしたちの傍らに現存し、愛と慰めを持ってともに歩み続けてくれている。
そして第三、最後の来臨は世の終わりに際しての最後の審判の際での出会いである。
教皇はマタイの福音書第25章「わたしが飢えていたとき食べさせてくれた、わたしが渇いていたとき飲ませてくれた、わたしが旅人だっとき宿らせてくれた、わたしが裸だったとき着せてくれた、わたしが病気だったとき、牢獄に入れられていたとき見舞ってくれた。
まことにわたしは言う。あなたたちが私の兄弟たちであるこれらのもっとも小さな人々の一人にしてくれたことは、つまりわたしにしてくれたことであると」を引用しながらわたしたちは皆、最後には兄弟をどのように愛したかによって裁かれるだろうと想起している。
教皇は待降節の間、各自のキリストとの出会いが、どのようなものであるかを深く反省するよう促している。