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教皇フランシスコ、2018年8月8日、バチカン・パウロ6世ホールでの一般謁見 教皇フランシスコ、2018年8月8日、バチカン・パウロ6世ホールでの一般謁見  (Vatican Media)

「わたしたちの弱さは、神との出会いの場所」教皇、一般謁見で

教皇フランシスコは、一般謁見の席で、「出エジプト記」の「金の子牛」のエピソードを取り上げ、偶像崇拝について考えられた。

教皇フランシスコは、8月8日、バチカンのパウロ6世ホールで、水曜恒例の一般謁見を行われた。

教皇は謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、「十戒」の最初の掟、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(出エジプト記20,3)の考察を継続。

この日は特に、「出エジプト記」の「金の子牛」のエピソード(32,1-8)に、偶像崇拝の背景や様相を見つめられた。

教皇は、出エジプト記の中で、民が「金の子牛」の鋳像を造った背景として、モーセが神から掟を授かるために山に登って行ったまま、なかなか降りて来ず、人々は荒れ野で長く待たされていたことを指摘。

荒れ野とは何か、それは不安定と不確かさに支配された場所であり、それは不安で一切の保証がない状態に置かれた人間の生活のイメージであると話された。

このような荒れ野に置かれながら、信頼する指導者、モーセの下山が遅れていたことが、人々の偶像崇拝につながったと教皇は話された。

モーセの消息がわからない人々は、目に見える神を望み、「我々に先立って進む神々を造ってください」と、モーセの兄アロンに言った。

教皇は、民のこのような態度について、「人間の本性は、不安定な状態から逃れるために、自作の宗教を求め、神が目に見えないのならば、自分たちで思い通りの神を創作しようとする」、「こうしたことからも、偶像とは、自ら作り出したものを崇拝しながら、現実の中心に自分自身を置こうとするための、一つの口実である」と話された。

アロンは人々の願いに抗することができず、「金の子牛」の鋳像を造った。

教皇は、「金の子牛」は、古代オリエントの影響下において、豊穣や豊かさ、また活力や強さを意味するだけでなく、何よりも金であることから、繁栄や、成功、権力、富などを象徴するものであったと説明。

すなわち、「金の子牛」とは、自由の幻想を与えるすべての欲望のシンボルであり、実際には自由の代わりに、人を隷属させるものであったと述べられた。

しかしながら、人々が金の子牛を造らせた一番の原因は、神に信頼し、神の中に安全を求め、神に心の奥底にある真の願いを託すことができなかったことにあると、教皇は強調。

神を第一にしないならば、人は簡単に偶像崇拝に陥り、そこでわずかな安心感を得るのみであると話された。

「豊かであったのに、わたしたちのために貧しくなられた」(参照:2コリント8,9)イエス・キリストの神を受け入れる時、人は自分の弱さは人生の不幸ではなく、真に強いお方に自分を開くための条件であることを理解する、と述べた教皇は、真の神を唯一の主として受け入れることで、人は自由になり、自分の弱さを認め、心の中の偶像を拒否することができると語られた。

「わたしたちキリスト者は、十字架につけられたキリストを見つめ、その中に真の神の御顔と、愛の栄光の啓示を見出す」、「キリストにおいて、わたしたちの弱さは、もう災いではなく、御父との出会いの場所、天から与えられる新しい力の源となる」と、教皇はこのように説かれた。

08 8月 2018, 17:34