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バチカンのパウロ6世ホールで行われた、教皇フランシスコの一般謁見 2018年8月1日 バチカンのパウロ6世ホールで行われた、教皇フランシスコの一般謁見 2018年8月1日  (Vatican Media)

「真に愛するためには、偶像からの解放が必要」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、一般謁見のカテケーシスで、今日の偶像崇拝に注意を促された。

教皇フランシスコは、バチカンで8月1日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

7月中、休止されていた教皇一般謁見は、8月に入ったこの日から、通常のように再開された。

このところローマは熱波に覆われており、そのため謁見はパウロ6世ホールで行われた。会場には、欧米諸国から訪れたミサの侍者の少年少女たちの姿が目立った。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は6月末まで継続していた「十戒」をめぐる考察に戻られた。

この日、教皇は「十戒」の最初の掟、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(出エジプト記20,3)を、テーマに取り上げられた。

教皇はこの掟は、偶像や、偶像として扱われる可能性のある、あらゆる種類の像(イメージ)を禁じている、と述べられた。

教皇は、偶像崇拝は、信仰を持っているか、いないかに関わりなく、一つの人間的傾向として、誰でもが陥りやすいものと注意を喚起。

実際、偶像崇拝とは、異教的問題に留まらず、どのような時でも信仰に対する誘惑となりうるものであり、それは、神ではないものを神とすることである(参照:「カトリック教会のカテキズム」n.2113)と話された。

神とは人生の中心にあって、自分の行動や考えを左右する存在であると教皇は述べ、人間は何かを中心にしなければ生きることができないゆえに、世界は偶像のスーパーマーケットのように、物や、像、アイデア、役割等を提供していると語られた。

偶像崇拝は、どのように進むのだろうか。教皇はその展開を「あなたはいかなる像も造ってはならない...あなたはそれに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」(出エジプト記20,4-5)という、掟の続きの言葉に見出された。

「偶像」を意味するギリシャ語は、見るという動詞を語源に持つと教皇は紹介しつつ、「偶像」は強迫観念に至らせる一つのビジョンであり、それは実際には、物や計画に注がれた自分自身の投影なのであると説明された。

教皇は、まず、何かを所有したい、あるいは、ある計画を実現したい、ある地位に到達したいという考えが、幸福のための素晴らしい道、天まで届く塔(参照:創世記11,1-9)のように思われ、すべてはその目的のために費やされる過程に言及。

次いで「あなたはそれに向かってひれ伏してはならない」という言葉が警告するように、偶像が信心や儀式を要求し、すべてを犠牲に求めるようになる過程を教示された。

偶像が要求する犠牲について教皇は、古代は人身御供というものが行われたが、今日も、出世のためや、美しくあるため、有名になるため、お金儲けのために、人や生活が犠牲になっていることに変わりはないと語られた。

さらに、教皇は、偶像崇拝の最も悲劇的段階として、「あなたはそれらに仕えたりしてはならない」とあるように、偶像の奴隷となることの恐ろしさに触れられた。

偶像は、幸福を約束しながらそれを与えず、命を約束しながらそれを取り上げる、と教皇は指摘。

真の神は命を要求せず、むしろそれを与え、わたしたちに成功の幻想を抱かせず、その代わりに愛することを教えてくれると話された。

「自分にとっての偶像が何であるのかを知ることは、一つの恵み、愛の道の始まり」と述べた教皇は、真に愛するために、すべての偶像から解放される必要を説かれた。

01 8月 2018, 19:05