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教皇フランシスコ、6月27日(水)、バチカンでの一般謁見で 教皇フランシスコ、6月27日(水)、バチカンでの一般謁見で  (Vatican Media)

「キリスト教生活は、寛大な御父への感謝の答え」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、一般謁見で、「わたしは主、あなたの神」という言葉で始まる、「十戒」の冒頭部分を解説された。

教皇フランシスコは、バチカンで6月27日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中、教皇は「十戒」をテーマにしたカテケーシス(教会の教えの解説)で、「十戒」の冒頭の部分を考察された。

「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」(出エジプト20,2)。

「十戒」はこのような神の言葉で始まる。

教皇は、神がまずご自身について宣言し、その救いの業を明らかにしてから、「十戒」の具体的な内容を示していることに注目。

これは、神が最初に救いの業を行うことで、民の信頼を求められるためであり、いわば、「十戒」は神がその寛大さを示すことから始まると述べられた。

「わたしは主、あなたの神」という宣言について教皇は、神はよそよそしい他人のような存在ではなく、まさに「あなたの神」であり、その愛は「十戒」全体を照らすものと語った。

「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた」(ヨハネ15,9)とイエスの言葉にあるように、キリストは御父から愛され、その同じ愛をもってわたしたちを愛される。キリストはご自分からではなく、御父から出発されていると教皇は述べられた。

わたしたちの行いがしばしば失敗するのは、その行いが自分自身から出て、感謝から出ていないからであると教皇は述べ、「自分から出発する人は、自分自身にしかたどり着けない」と話された。

キリスト教的生活は、何よりも、寛大な御父に対する感謝の答えであり、あれをしなくては、これをしなくてはと、義務だけにとらわれているキリスト者は、その義務の基礎にある、神なる御父の愛の体験が欠けていることを表している、と注意された。

「関係の始めから、ただ掟だけを押し付けることは、信仰の歩みの助けにはならない。救いではなく、義務や課題から出発するならば、どうして若い人はキリスト教徒になることを望むだろうか」と教皇は問われた。

「キリスト者として成長するには、意志の力だけでは足りない。救いを受け入れ、神に愛される体験が必要」と強調された。

神に従うには、神がわたしたちのためにしてくださったことを思い出すことが大切と教皇は述べ、自分に対する神の素晴らしい業と救いについて、各自が思いを巡らせるよう勧められた。

義務感だけに縛られ、神の解放の真の体験を知らない人々に対し、教皇は、イスラエルの人々のうめきと叫びを聞いた神が、人々を顧み、御心に留められた(参照:出エジプト2,23-25)ように、自分から神に救いを求める叫びを上げるようにと説かれた。

「神はわたしたちの鎖を断ち切るために、助けを求める叫びを待っておられる。神は、わたしたちが虐げられることなく、自由と感謝のうちに生きるようにと、わたしたちを召された」と、教皇は神がわたしたちに与える限りない恵みを示された。

01 6月 2018, 15:25