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国際カリタスの新会長に選出された菊地功大司教 2023年5月14日 バチカン放送局で 国際カリタスの新会長に選出された菊地功大司教 2023年5月14日 バチカン放送局で 

国際カリタス:菊地大司教「忘れられた人々が希望を取り戻せるように」

国際カリタスの新会長に選ばれた東京大司区の菊地功大司教は、バチカン・メディアへの選出後最初のインタビューで、見捨てられた人々に人道支援とカトリック教会の寄り添いをもたらす同組織の多くのボランティアや関係者たちの仕事について語った。

デヴィン・ワトキンス-バチカン市国

「人々に、彼らは忘れられてはいない、と知ってもらうこと、これがカリタスの真の使命です」。国際カリタスの新会長に選ばれた東京大司区の菊地功大司教は、同組織の役割をこのように説明する。菊地大司教は、前日、400人の代表が参加する国際カリタスの第22回総会で、任期4年の会長に選ばれたばかりだ。同大司教は、バチカン・ニュースのインタビューで、新たな使命への抱負と、具体的な奉仕を通して神の愛を証しする多くのボランティアの人々に向けたメッセージを分かち合ってくれた。

Q:国際カリタスの会長という新しい役割において、この使命にどのような目標を持っていらっしゃいますか?

A:国際カリタスは、赤十字に次いで世界で2番目に大きい人道支援組織です。そのため、困難な状況にある人々に支援を提供する専門的なNGOとして知られていますが、実際には単なるNGOであるだけではない、それ以上のものです。わたしたちはカトリック教会の組織であり、教会の奉仕のための機関です。それは、カリタスは神の愛の証しでなくてはならぬということを意味します。わたしたちがすることは、ただ食べ物や物資や他のあらゆる種類の援助の供給だけではありません。われわれは、主がすべての人を愛しておられることを人々に示す、神の愛の証人でもあるのです。

Q:国際カリタスの総会の中で、皆さんの関心は、忘れられた人々、他の組織から支えてもらえない人々に向けられていました。カリタスはこれらの人々とどのような方法で向き合うのでしょうか?

A:わたしのカリタスジャパンのボランティアの経験から汲み取りたいと思います。1995年、わたしはザイール(現在のコンゴ民主共和国)・ブカヴのルワンダ人難民キャンプに派遣されました。そこでわたしはたくさんの難民たちと出会いました。当然、すべてのものが欠けていました。食べ物も、服も、身を寄せる場所もありません。人々はすべてを必要としていました。そして、二度目にそのキャンプに行った時、いく人かの指導者的な人々と知り合いました。わたしは彼らに何が必要かと聞きました。わたしは彼らが「わたしたちには、食べ物が、教育が、薬が、家が必要だ」とか、そういったことを言うだろうと想像していました。つまり、彼らが必要とするものの長いリストです。しかし、それに対して彼らはこう言ったのです。「神父さん、あなたは日本から来られました。だから、日本に帰ったら、彼らに言ってください。わたしたちはまだここにいると。わたしたちは皆、忘れられているのです。」この言葉にわたしは本当に衝撃を受けました。あの体験の後、わたしは、災害で被害を受けた様々な地域・国々の多くの人々、戦争や紛争で破壊された地域の人たちと出会いました。いつも同じストーリー、同じ叫びを聞きました。「わたしたちは忘れられた。わたしたちは忘れられた」と。カリタスの真の使命はこれです。これらの人々に、彼らは忘れられてはいない、と知ってもらうことです。わたしたちは彼らと一緒にいたいのです。もちろん、わたしたちは専門的な支援を提供しますが、同時に彼らにこう言いたいのです。わたしたちはいつも彼らと共にいて、いつも彼らと共に働き、いつも彼らを忘れないと。誰一人排除されず、誰一人忘れられることはないと。

Q:あなたご自身が、一人のボランティアであっただけでなく、宣教司祭でした。これはあなたのミッションにどのような影響をもたらしますか?

A:わたしは神言修道会、SVDの会員です。わたしは、1986年に司祭に叙階された後、アフリカ西部、ガーナに派遣されました。そこで、わたしは、電気も水道もない、密林の奥深くの小教区に送られました。そこに7年間、主任司祭として留まりました。ガーナには、すべて合わせて8年いました。それはわたしにとって本当に重要な体験でした。それが自分のアイデンティティーの形成に役立ったと思っています。特に1986年のあの頃、西アフリカの経済はあまり良くなく、人々は本当の貧困状態にありました。多くの人が病状にあった薬がないまま亡くなりつつあり、HIV-AIDSが広がりつつありました。そこにはあらゆる種類の問題がありました。それでも、人々はとても幸福そうで、毎日素晴らしい笑顔を見せていました。そこで、わたしは小教区のいろんな人に聞いたものです。「なぜ皆さんはこんなに幸せそうなのか」と。ある人は冗談まじりに「神父様、わたしたちにはガーナの魔法がありますから」と答えました。では、彼らの魔法とは何でしょうか。それは、誰かが助けてくれるだろう、誰も忘れられることはないだろう、という確信です。こういう種類の文化的背景の中で、人々は互いに支え合います。こういうことから、道端で死ぬ人を見ることはありません。なぜなら誰も忘れられることがないからです。この確信は人生において真に希望を生みます。人々を忘れないのならば、わたしたちは生き抜くための希望を作り出すことができる、これはわたしの信念の基礎となりました。希望を外からもたらすことはできません。わたしたちは、食料や物資、その他すべてを外から持ってきて、困窮した人々に与えることはできます。しかし、希望を持ってきて、困難にある人に与えることはできません。希望は彼らの心の中で作られなければなりません。われわれは希望を作って欲しいと彼らにお願いすることはできません。しかし、わたしたちは友となって、一緒に歩むことはできます。彼らが自分たちは忘れられていないと確信できるように、彼らと共にいることはできます。ここから、彼らは生き抜いていくための希望を作り出すことができるのです。

 

14 5月 2023, 17:01