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聖アルテミデ・ザッティ修道士の肖像 2022年10月9日 バチカンでの列聖式 聖アルテミデ・ザッティ修道士の肖像 2022年10月9日 バチカンでの列聖式  (ANSA)

聖ザッティ修道士:病者や貧しい人々への謙遜で寛大な愛

10月9日に列聖された聖アルテミデ・ザッティ修道士(イタリア1880−アルゼンチン1951、サレジオ会員)の生涯を振り返る。

 聖アルテミデ・ザッティは、1880年10月12日、イタリア北部レッジョ・エミリア県ボレットで誕生。貧しさのために早くから苦労を味わい、わずか9歳の時から日雇労働者として働かなければならなかった。一家は、アルテミデが青年の頃、より良い生活を求めてアルゼンチンのバイア・ブランカに移住した。

 アルテミデはすぐに働き始め、最初はホテルの従業員に、続いてレンガ工場の工員となった。サレジオ会が立ち上げた小教区に通うようになった彼は、修道者への召し出しに目覚め、やがてベルナルのサレジオ会修道院に志願者として入会した。20歳の時であった

 志願期には多くの試練が彼を待ちうけていた。 他の志願者より年上であった上に、受けた教育も同期の志願者たちよりかなり遅れていた。しかし、アルテミデは、確固たる意志と、生来の知識欲、また堅固な信仰によって、困難を克服していった。

 アルテミデは結核患者の若い司祭の看病をするうちに、自身も結核に感染してしまった。結核療養のために、気候良好なビエドマの修道院に移された。そこにはサレジオ会員エヴァジオ・ガッローネ神父がミッションのために運営する病院があった。アルテミデは、ガッローネ神父の勧めにより、回復したら生涯を病人たちへの奉仕に捧げるとの願を扶助者聖母に立て、奇跡的に完治した。1911年2月8日、ついに念願のサレジオ会修道士としての終生誓願を宣立した。

 アルテミデ修道士は、聖母への約束を忠実に果たし、病院での奉仕に明け暮れ、患者たちをはじめ、医師たちや病院関係者からも大きな信頼を受けるようになった。薬剤師の資格を取り、病人たちへの薬の処方を忠実に果たすと共に、看護師として働き、病院長ガッローネ神父が1913年に亡くなってからは、アルテミデが実質的に病院責任者の役割を受け持つようになった。

 彼の奉仕は病院内にとどまることなく、必要に迫られた人々のいる所にはどこでも出向いていった。その活動はビエドマからネグロ川を越えたパタゴネスまで及んだ。片手で自転車のハンドルを、もう一方の手でロザリオを握り、薬箱を肩にかけた白衣のアルテミデの姿を見ると、街の人々は大いに慰められるのであった。彼は奉仕の報酬を決して求めることはなかった。

 多くの人々がアルテミデと出会うことで信仰に近づき、あるいは信仰を取り戻すことができた。大いなる調和をもって、すべての人々、時には意見の異なる人々とも、良い関係を構築した。

 彼は「仕事と節制」というドン・ボスコのモットーにすべてにおいて忠実であった。病院の仕事に没頭しつつも、サレジオ会修道士としての務めも決して怠らず、これほど忙しく働きながら修道院の時間割をしっかりと守るアルテミデに会員たちは感服するのだった。

 しかし、アルテミデは、1950年、転倒をきっかけに病院の検査を受けたところ、癌の兆候を自ら認めた。その後も数ヶ月にわたり仕事に専念することができたが、やがて病苦を英雄的に耐えしのび、多くの人々の愛情に包まれ、惜しまれつつ、1951年3月15日、天に召された。

 彼の葬儀には、ビエドマとパタゴネス中の住民が集まり、それまで見たこともないほどの葬列を作った。アルテミデの聖性を語る声はすぐに広まり、人々は彼の取次ぎを願い、墓を訪れた。そして、今日もその墓前を訪れる人は絶えない。

09 10月 2022, 20:24