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聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿 (1801-1890) 聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿 (1801-1890) 

聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿の生涯

バチカンで10月13日に列聖された、聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿の生涯を振り返る。

バチカンで10月13日、教皇フランシスコ司式のミサ中行われた列聖式で、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿、ジュゼッピナ・ヴァンニーニ修道女、マリア・テレザ・チラメル・マンキディヤン修道女、マルグリット・ベイズの5人が、新たに聖人として宣言された。

これらの聖人たちの中で、今回、聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿(英国1801-1890)の生涯を振り返る。

英国国教会の司祭から、カトリック教会の枢機卿へ。聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿の聖性への長い歩みは、唯一の真理に対する深く内的な探究に特徴づけられるものであった。

1801年、ロンドンに生まれ、1825年、英国国教会(イングランド国教会)の司祭となった。

宗教界のリベラリズムの拡大に対し、英国国教会においてキリスト教古来の伝統を神学や典礼に改めて生かし価値づけようとする、オックスフォード運動に関わった。この運動は、やがてアングロ・カトリシズムの基盤となっていった。

ニューマンは、1832年から33年にかけて、地中海を旅行。以前から教会史や教父学を研究していた彼は、マルタや、シチリア、ローマなどを訪れる中、殉教者の歴史や霊性に触れ、カトリックへの関心をより深めて行った。シチリアでは病気を患い、病床で神に完全に自己を委ねる体験をした。

1841年、英国国教会の39の命題をカトリック教義と照らし合わせ分析・解釈したトラクト(小冊子)を出版、英国国教会の主教やリベラル派からの激しい反発を受けた。

こうした中、ニューマンは、小教区活動を辞退し、オックスフォードに近い小さな村、リットルモアーに隠退した。

1842年、「キリスト教教義の発展について」を執筆。これをもってカトリック教会への回心の決心が熟した。

1845年、リットルモアーを訪れた御受難会のドメニコ・デラ・マードレ・ディ・ディオ神父(後に福者)の前で信仰を告白し、洗礼を受け、カトリック教会の一員となった。

1847年、カトリック教会の司祭として叙階された。ニューマンはその時のことを「嵐の後で、ようやく安全な港に入港したようだった」と述べている。

1849年、英国において、聖フィリッポ・ネリのオラトリオ会を初めて創立。

1854年、ダブリンのカトリック大学の学長に任命された。多くの書を著し、その中でも「アポオロジア」「グランマティカ」などが知られている。

ニューマンは、1879年、教皇レオ13世より、枢機卿に任命された。

1890年、バーミンガムのオラトリオ会の自室で89歳で帰天。墓碑銘には、ニューマン自身がその内的旅路を振り返った言葉をもって、「闇、そして表象から、真理へ」と記されている。


15 10月 2019, 18:23