ベネチア:「主とつながることは、成長すること」教皇、サン・マルコ広場でミサ
教皇フランシスコは、4月28日(日)、訪問したイタリア北部ベネチアでミサをとり行われた。
ベネチアのシンボルである大聖堂を背景にサン・マルコ広場で捧げられたミサには、およそ10500人が参加した。
教皇ミサのために広場には舞台が設けられ、その一部を構成するパネルには、「キリストの愛にとどまりなさい」という、今回の教皇のベネチア訪問のモットーが大きく記された。
祭壇の隣には、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会に保管され、ベネチアの人々の崇敬を受けている「救いの聖母」のイコンが掲げられた。同イコンが教会の外にもたらされるのは70年ぶりであるという。
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教皇はミサの説教で、この日の福音朗読箇所、ヨハネ福音書15章、イエスが「わたしはまことのぶどうの木」と、ぶどうの木のたとえを用いて話される場面(ヨハネ15,1-8)を取り上げられた。
「わたしはまことのぶどうの木 […]わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。[…]人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」というイエスの言葉を教皇は示しながら、イエスはぶどうの木、わたしたちはその枝であり、いつくしみ深い御父は、わたしたちの人生が多くの実を結ぶように思いやりをもって世話をする忍耐強い農夫のような方である、と話された。
イエスのぶどうの木のたとえは、神のわたしたちに対する愛情あふれる世話を示す一方で、主とのこの絆が切れて、投げ捨てられ焼かれる枯れ枝にならないようにと、わたしたちに注意を促すものでもある、と教皇は述べられた。
また、教皇は、イエスのこのたとえを、世界でも最も魅惑的な都市の一つであるベネチアについて考えながら読むこともできると指摘。
水と一体化し、水の上に築かれた都市ベネチアは、今日の自然がもたらす筋書きに従えば消滅しかねない危険を抱えており、同様に、神の愛の泉に常に浸されたわたしたちのいのちもまた、われわれの中で樹液のごとく流れるこの神の愛がなければ、枯れ枝となり、実を結ぶことができない、と語られた。
教皇は、大切なのは主につながり続けること、と強調。しかし、「つながっている」とは、受け身で動かずにいることではなく、むしろ、主につながることで、主との対話、御言葉の理解、神の王国の道にしたがうことにおいて、常に成長し続けることである、と説かれた。
イエスというぶどうの木は、人々を喜びと希望で満たす、神の愛のぶどう酒をもたらす木である、と述べた教皇は、主とつながるわたしたちも、神から来るその愛と希望を生活や社会にもたらすように召されている、と話された。
わたしたちはベネチアを見つめる時、その美しさを賞賛する一方で、この都市を脅かす多くの問題を憂慮せざるを得ないと教皇は語り、ベネチアのラグーナの水に影響を与える気候変動や、人間的な生活環境を危うくし、社会的な関係を希薄にするオーバーツーリズムなどを、考慮すべき問題として挙げられた。
人類を世話し、一人ひとりが花開けるようにと世界を一つの庭として創造された神のぶどう園で、そのぶどうの枝であるわたしたちキリスト者はどのように応えたらよいだろうか、と教皇は問いかけた。
そして、教皇は、キリストに一致し、福音の実、すなわち正義、平和、連帯、相互の思いやりの実をわたしたちが暮らす現実の中にもたらし、環境的な遺産と共に、人間的な遺産をも、注意深い選択を通して守って行こう、と呼びかけられた。
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ミサの終わりに、教皇はレジーナ・チェリの祈りを唱えられた。
この際、教皇は医療・食料・治安上の深刻な危機にあるハイチに言及。暫定大統領会議の仕事と決定を神に託しながら、同国に平和と安定を祈られた。
教皇はミサの後、聖マルコ大聖堂を私的に訪問し、聖マルコの聖遺物の前で祈りの時を持たれた。
こうして、ベネチア司牧訪問の行事を終えた教皇は、ヘリコプターでローマに戻られた。