ベネディクト16世の葬儀、バチカンでとり行われる

名誉教皇ベネディクト16世の葬儀が、1月5日、バチカンでとり行われた。

 2023年1月5日、名誉教皇ベネディクト16世の葬儀が、バチカンで教皇フランシスコによってとり行われた。

 葬儀ミサが行われた聖ペトロ広場には、ローマ、イタリアからはもとより、世界各国から多くの参列者が集い、故名誉教皇の冥福を共に祈った。

 儀式には、葬儀を主宰する教皇フランシスコをはじめ、120人以上の枢機卿、400人以上の司教、およそ4千人の司祭が参加した。

 名誉教皇の葬儀のため、イタリアとドイツ両国からそれぞれの大統領率いる公式使節が参列したほか、ヨーロッパを中心にした世界各国から、元首や首相、政府や王室の代表が出席した。

 また、正教会、プロテスタントの諸教会の使節、ローマのユダヤ教共同体、イタリアとローマのイスラム教関係者の代表も参列した。

 葬儀の朝、ローマ中心部は霧が立ち込め、聖ペトロ大聖堂のクーポラまで包んだ。

 ミサ開始前には、大聖堂内からベネディクト16世の棺が「セディアーリ」と呼ばれる職員らによって広場に運ばれ、信者らによるロザリオの祈りが行われた。

 入祭の行列に続き、葬儀ミサが始まった。

 このミサでは、「みことばの典礼」とそれに伴う説教を教皇が、後半の「感謝の典礼」を枢機卿会主席のジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿がとり行った。

 通常、前任教皇の葬儀を、後継者の教皇が行うことはまれである。なぜなら、ある教皇の逝去後、葬儀の段階は「使徒座空位」期間であり、後継教皇を選出するコンクラーベ(教皇選挙)はまだ行われていないためである。

 しかし、ベネディクト16世の場合、生前退位であったため、後継者の教皇フランシスコがその葬儀をとり行うことになった。

 前任教皇の葬儀を、後継教皇が行った前例としては、ナポレオン軍の「捕虜」となり、1799年にフランスのヴァランスで亡くなったピウス6世の葬儀を、遺体がローマに返還された、帰天から3年後の1802年に、後継者のピウス7世がとり行ったケースがある。

 教皇フランシスコは葬儀ミサの説教で、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(ルカ23,46)というイエスの十字架上での最後の言葉が表す、御父の御手にたえず自らを捧げ続けたイエスの生涯を観想。

 師イエスに従う者として、感謝と、祈り、聖霊の慰めに支えられ、神と人々のために献身した牧者、イエスの忠実な友であったベネディクト16世を思い起こした。

 簡素で厳かな儀式は、会場全体を祈りで包み、わき上がる聖歌の合唱が、宗教音楽をはじめ、音楽に深く親しんだ故名誉教皇をしのばせた。

 聖体拝領後、告別の儀式がとり行われた。司式者のレ枢機卿がベネディクト16世の棺を聖水で祝別し、献香を行い、次いで、教皇フランシスコが告別の祈りを唱えた。

 それまで静まり返っていた広場から、割れるような拍手と共に、「Santo subito!」(「すぐに、聖人に」)という叫びと、オマージュのために「ベネディクト」と呼ぶ声が会衆の中から響いた。

 故名誉教皇の棺は、入場の時と同様に、再びセディアーリらに担がれた。棺を迎える枢機卿たちの行列が大聖堂内に入っていった。

 棺が教皇フランシスコの前に止まると、教皇は棺に向かって十字架のしるしをし、その上に手を置いてしばし祈られた。

 最後に、棺は故名誉教皇の秘書ゲンスヴァイン司教らにつきそわれ、埋葬が行われる大聖堂内へと入り、大聖堂正面入り口は赤い覆いによって左右から閉じられた。

 霧の中で始まったミサの終わりには、雲間から薄青い空がのぞいた。大聖堂の鐘が鳴る中、ベネディクト16世の葬儀ミサは閉祭した。

 

05 1月 2023, 12:47