教皇フランシスコ、2020年5月10日(日)、正午の祈り 教皇フランシスコ、2020年5月10日(日)、正午の祈り 

「イエスにより頼み、イエスの道を行く」教皇、日曜正午の祈り

教皇フランシスコは、5月10日(日)、正午の祈りをビデオを通して唱えられた。

教皇フランシスコは、5月10日(日)、正午の祈りをバチカン宮殿からビデオを通して行われた。

祈りに先立つ説教で、教皇はこの日曜日の福音朗読箇所、最後の晩餐でイエスが弟子たちに「別れの説教」を始める場面(ヨハネ14・1-12)を取り上げられた。

そして、「心を騒がせるな」という言葉と共にイエスがわたしたちに示す、救いの道について、次のように話された。

********** 

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

今日の福音(参照:ヨハネ14・1-12)で、イエスの「別れの説教」が始まるのを聞きました。それは、イエスが、受難に向かわれる直前、最後の晩餐の終わりに弟子たちに与えた言葉です。これほど劇的な状況に、イエスは最初に「心を騒がせるな」(同14,1)言われました。イエスはわたしたちの人生のドラマの中でも、このように話しかけられます。しかし、心を騒がせないためにはどうしたらよいのでしょうか。なぜ心は騒ぐのでしょうか。 

主は、心の動揺に対し、二つの救いを示されます。一つは「わたしを信じなさい」(参照:同14,1)という言葉です。それはやや理論的・抽象的な勧めに聞こえるかもしれません。しかし、それに対し、イエスがわたしたちに一つの厳密なこと伝えようとしています。イエスは、人生には最悪の不安、動揺があることを知っています。それは自分を独りと感じ、これから起こることに対し見当がつかないことから生まれる、無理だ、できない、という感覚です。困難が困難を増大させていくこの苦悩は、独りでは乗り越えることができません。イエスの助けが必要です。それゆえ、イエスはご自身を信じるようにと言われます。すなわち、自分自身に頼らずに、イエスに頼るように言われるのです。なぜなら、動揺からの解放は、イエスにより頼むことを通して可能になるからです。

イエスにより頼むことは、状況を前進させます。これが動揺からの解放です。イエスは復活され、生きておられます。それは、まさにいつもわたしたちのそばにおられるためでした。ですから、わたしたちはこのように言うことができます。「イエスよ、あなたが復活され、わたしのそばにおられると信じています。わたしに耳を傾けてくださると信じます。わたしの不安と苦悩のすべてをあなたに差し出します。あなたを信じ、あなたにわたしを託します」。

心の動揺に対するもう一つの救いとして、イエスはこの言葉を与えられます。「わたしの父の家には住むところがたくさんある…行ってあなたがたのために場所を用意する」(参照:同14,2)。これがイエスがわたしたちのためにしてくださったことです。わたしたちのために天に場所を用意してくださいました。イエスはわたしたちの人間性をまとわれ、それを死を超え、新たな場所、天まで持っていかれました。それはイエスがおられる所に、わたしたちもいることになるためでした。

わたしたちに慰めを与える確かなこと、それは、わたしたち一人ひとりに用意された場所があるということです。わたしたち一人ひとりが言うことができます。「自分のための場所がある」と。わたしたちは目標も行先もなしに生きることはできません。わたしたちは待たれる、大切な存在です。神はご自身の子らを深く愛しておられます。そして、神はわたしたちにふさわしい素晴らしい場所を用意してくださいます。それは天国です。わたしたちを待つ家とは天国であることを忘れないでいましょう。わたしたちにとってここは通過点です。わたしたちは天国のため、永遠のいのちのため、とこしえに生きるためにつくられています。永遠とは、今のわたしたちには想像すらできないことです。しかし、さらに素晴らしいことは、この永遠は、悲しみも、怨恨も、分裂も、心の動揺もない、まったき喜びの中に、神や他者との完全な交わりの中にあるということです。

では、どのようにして天国に達することができるのでしょうか。それはどのような道でしょうか。ここにイエスの決定的な言葉があります。それは「わたしは道である」(同14,6)という言葉です。天国に入るには、イエスという道を通らなくてはなりません。それはイエスと生きた関係を持ち、愛においてイエスに倣い、その生き方に従うということです。キリスト者として、それぞれが自問しましょう。「わたしはどの道を行くのか」と。世俗の道や、自己主張の道や、利己的な権力の道など、天国にはつながらない道もあります。そして、謙遜な愛や、祈り、柔和、信頼、奉仕などの道に代表される、イエスの道があります。それは、自分が主役の道ではなく、人生の中でイエスを主役とする道です。それは、「イエスよ、わたしのこの選択をどう思いますか。この状況で、これらの人々と共にいて、あなただったらどうしますか」と毎日尋ねながら進む道です。イエスに天国への道を示してもらうのはよいことです。天の元后、聖母よ、わたしたちに天国を開いてくださったイエスに、わたしたちが従えるようどうかお助けください。

10 5月 2020, 16:11