教皇、「祈りは生活そのものから始まり、絶望から救ってくれる」。
水曜恒例教皇一般謁見で、教皇フランシスコは先週から始まった「主の祈り」の解説を続けられ、祈りの本質、それは天におられる父なる神へのゆるぎない信頼であると話された。
「キリストご自身がその弟子たちに教えた「主の祈り」は短いながらも大変大胆な祈りと言えます。
あらゆる思惑や恐れの壁を取り除き、素直な心で担当直入に祈りそのものの神髄へと導いてくれます。
「主の祈り」は、余計な前置きを差し置いて、天の御父に対する子としての信頼をもってまっすぐに人間の具体的な現実に迫っていきます。
そのもっともよい例は「わたしたちに毎日のパンを」与えてくれるよう願うことばです。
これは、生きていく人間にとって率直な本質的な願いです。
それは信仰というものは実生活からかけ離れたものではないことを示しています。
祈りは具体的な生活そのものから始まるのです。
過去にある人が言ったことがあります。
物事を願う懇願の祈りは信仰がまだ弱いことを表す祈りです。
真の祈りとは何の願い事もない純粋に神を賛美する礼拝の祈りなのだと。
そうでしょうか。事実はそうではないと思います。
懇願の祈り、そこにある信仰は本物です。
それは人間が持つごく当然の心情です。
全能であり、かつ最高に善良である父である神に対する信仰の表れ、信頼の行為です。
自分は小さく、罪人で、助けを必要とする者であるとの自覚をも表す行為です。
ですから、神に向ける懇願の祈りは大変すばらしい祈りなのです。
それはその祈り自体が、神はわたしたちに対して限りない同情とあわれみを持つ父であり、わたしたちがその愛する子として、何の恐れもなしに心から、直接に「わたしたちのお父さんと」呼びかけ、困難にあうときにも、何とかしてください、と願うことのできる父であることを示しているからです」。
12 12月 2018, 18:21