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教皇「スポーツ活動を通し、三位一体の神の愛の反映に」

「三位一体」の祭日、教皇レオ14世は「スポーツの聖年」の参加者と共にミサを捧げられた。

 7月14日と15日の2日間にわたり、バチカンとローマを会場に、「スポーツのための聖年」の行事が開催された。

 「スポーツのための聖年」は、スポーツの世界に様々な形で関わる人々、プロあるいはアマチュアの選手、監督、コーチ、スポーツ団体やその役員・会員、またスポーツ関係者の家族等が参加して行われた。

 その行事の一環として、初日、14日には、教皇庁文化教育省主催で、「希望とスポーツ」の関係を考える会議が、国際的スポーツ団体の代表や、スポーツの研究者、また司牧者らを交えて、バチカンの近くのホールで開かれた。

 これと並行して、ローマ市内のポポロ広場には、イタリアのオリンピック委員会の主催で、多種のスポーツ連盟の協力を得て、いろいろなスポーツを知り、体験できるスポーツ・ビレッジが設けられた。

 「スポーツのための聖年」2日目、15日、参加者らはバチカンに集い、教皇レオ14世が司式するミサに参列した。

 カトリック教会の典礼暦で「三位一体」の祭日を祝ったこの日、当初バチカンの広場でとり行われることになっていた教皇ミサは、折からの熱波のため会場を変更し、聖ペトロ大聖堂で捧げられた。

 教皇はミサの説教で、「三位一体」と「スポーツ」はなじみのない関係に思われるかもしれない、と前置きしつつ、実はすべての良い人間的活動は、それ自体が神の美しさを反映するものであり、スポーツもそうした活動に属する、と話された。

 教皇は、神は静止した閉鎖的な方ではなく、父と子と聖霊の間で生き生きとした交わりを保ち、人類と世界に開いたお方であると指摘。

 外面はもとより、また内面において、自分から他者へと向かう動きを必要とするスポーツは、三位一体の神との出会いを助けるものであり、こうした他者との関係がなければ、スポーツは不毛な自己中心主義の競争に成り果ててしまう、と語られた。

 教皇は、スポーツの試合中、観客が選手を応援する時、イタリア語で「Dai!(さあ、行け!)」という言葉が使われることに注目。普段、特別意識せずに使われているこの応援の言葉の美しさに言及された。

 動詞「dare(与える)」の命令形である「dai」が選手に望むもの、それは単に運動能力だけでなく、自分自身を「出し、与えて」、「楽しむ」(参照 箴言8,30-31)ことにあると教皇は述べた。

 選手が自分を与える相手とは、自身の成長であったり、また支援者、家族、コーチ、協力者、公衆であったり、真のスポーツ精神においては結果さえも超えて、競争相手であったりもする、と話された。

 次に、教皇は、スポーツが今日の世界で人間的・キリスト教的育成に役立つ点を列挙。

 「わたし・わたしたち」だけに閉じこもり、他者を無視し、孤立しがちな社会で、スポーツ、特にチームによる競技は、協力や分かち合いの価値を教え、人々や共同体や自然との出会いの機会、学校や職場や家族の交流の場を生むことをその第一に挙げた。

 また、デジタル化が進み、人や現実との接触が少なくなる世界で、スポーツは実際に空間・時間をその場で共有し、それを体感させ、現実生活や自然との触れ合いを保つことを助けると、教皇は説いた。

 さらに、教皇は、強い者、勝利者だけが生きる価値があるかのような競争社会において、スポーツは負けることを通して、人間のもろさや、限界、不完全さをも教え、人間というものを深く考えさせると共に、こうした弱さの経験をばねに希望に心を開かせることもできると強調。

 チャンピオンは完全無欠の機械ではなく、負けた時にも、再び立ち上がる勇気を持った人間たちである、と語られた。

 教皇はスポーツ関係者に対し、「教会は皆さんに素晴らしい使命を託します。皆さんの活動を通して、自分のため、兄弟たちのために、三位一体の神の愛の反映となってください」と励ましを与えられた。

 

16 6月 2025, 09:33