教皇、ローマの小教区で共同回心式
教皇フランシスコは、3月17日午後、ローマの小教区の教会を訪問、信者らと共に共同回心式をとり行われた。
四旬節半ばの金曜日、教皇が訪問されたのは、ローマ市内トリオンファーレ地区のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。
復活祭を前に行われたこの共同回心式は、福音宣教省・世界宣教部門が主催した、祈りと、礼拝、ゆるしの秘跡に捧げられた時間「主のための24時間」(3月17日~18日)の一環として行われた。
教皇を迎えての共同回心式に、聖堂の内外にはおよそ千人の信者たちが詰めかけた。
この式では、前半にことばの典礼、後半にゆるしの秘跡が行われた。
ことばの典礼で教皇は、福音朗読箇所(参照 ルカ18,9-14)「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえを観想し説教を行われた。
「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえでは、二人の人物が祈るためにそれぞれ神殿に上がる。
ファリサイ派の人は立って祈っていたが、一方、徴税人は遠くに立って、目を天に上げることもできなかった。
教皇はこの二人の態度に注目。立って祈るファリサイ派の人は自信にあふれ、自分の立派さを見せつけようとし、その態度は、神に祈っているように見えても、実は自分自身のための儀式になっている、と指摘された。
このファリサイ派の人は、神の救いを恵みとして待つのではなく、むしろ自分の手柄のための褒美を求めているように見える、と教皇は話しつつ、祭壇前の前列を占めようとするこの人は、神を通り越して自分が前面に出ている、と観察された。
これに対し、徴税人は遠くに、隅の方に留まっている。教皇は、神の聖性を前に、自分が罪人であることを自覚する者のこの距離こそが、神の祝福とあわれみの抱擁を可能にする、と話された。
神がこの徴税人に歩み寄られたのは、まさに徴税人がとったこの距離のためであった、と教皇は述べ、わたしたちが「自分」という傲慢から距離をとった時に、また、わたしたちが偽善なしに、誠実さをもって自分の弱さを注ぎだす時に、神はわたしたちのもとに来られる、と語られた。
わたしたちの中にはファリサイ派の人と徴税人の両方が住んでいる、と話す教皇は、偽善や見せかけの裏に隠れず、わたしたちの暗さや過ちを主のいつくしみに信頼して託そう、と説かれた。
そして、この四旬節、わたしたちも痛悔の心をもって、この徴税人のように「神様、罪人のわたしを憐れんでください」とつぶやこう、と招かれた。
後半のゆるしの秘跡で、教皇は数人の信者の告解を聞かれた。
この儀式は、聖体降福式をもって締めくくられた。