「謙虚な人々こそ、真の勝者」教皇、ラクィラでミサ
8月28日(日)、イタリア中部ラクィラを訪れた教皇フランシスコは、コレマッジョ聖堂前の広場でミサをとり行われた。
ラクィラの旧市街のはずれにある「コレマッジョの聖マリア聖堂」は、後に教皇チェレスティーノ(ケレスティヌス)5世となる、隠修士・司祭ピエトロ・ダ・モローネ(1209から1215頃-1296)の意志によって、1288年に献堂された。
その後、教皇に選出されたピエトロ・ダ・モローネは、1294年8月29日、コレマッジョの聖堂で戴冠されている。
同聖堂では、毎年8月28日の晩課から29日の日没まで、教皇チェレスティーノ5世が定めた免償(すでに赦された罪に伴う有限の罰の免除)の機会、「チェレスティーノの赦し」が記念される。
この日とり行われた教皇ミサには、ラクィラをはじめ周辺地域から多くの信者が参列した。
教皇は説教で、「チェレスティーノの赦し」を祝うこの日、聖チェレスティーノ5世の墓があるコレマッジョ聖堂でミサを捧げる喜びを表された。
聖チェレスティーノ5世は、このミサの第一朗読で聞いた「偉くなればなるほど、自らへりくだれ。そうすれば、主は喜んで受け入れてくださる」(シラ書3,18)という言葉をまさに体現した人である、と教皇は指摘。
自らの適性と教会の状況を判断し、祈りと熟考を経た結果、登位後5ヶ月で教皇職を自主的に退位したチェレスティーノ5世は、ダンテの「神曲」に登場する「大いなる拒絶をした者」としてのイメージで思い起こされがちだが、彼は「ノー」の人ではなく、「イエス」の人であった、と振り返った。
そして、教皇は、謙虚な人々は人間の目には弱い敗者のように思われるが、神に完全に信頼し、その御旨を知る彼らこそが、真の勝者であると話された。
また、教皇はこの説教で、地震のために苦しみを受けながらも立ち上がろうとしている被災者たちに、「苦しみを体験した人は、その苦しみを宝とし、他者の痛みがわかる者となり、すべてをなくし、貧しさを体験した人は、いつくしみの恵みを持つ者となる」と、励ましの言葉を述べられた。
後半、アンジェラスの祈りを唱えられた教皇は、ミサ終了後、コレマッジョの聖マリア聖堂の「聖なる扉」を開き、「チェレスティーノの赦し」の開始を告げられた。
「聖なる扉」を通り聖堂内に入った教皇は、聖チェレスティーノ5世の墓前で祈りの時を持たれた。