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教皇フランシスコ 2022年7月31日のお告げの祈り 教皇フランシスコ 2022年7月31日のお告げの祈り  (Vatican Media)

教皇「永遠に残る本当の富を考えよう」日曜正午の祈り

教皇フランシスコは、7月31日(日)、正午の祈りの集いを行われた。

 教皇フランシスコは、カナダ訪問からの帰国の翌日、7月31日(日)、バチカンで「お告げの祈り」を巡礼者と共に唱えられた。

 集いの説教で、教皇はこの日の福音朗読箇所、ルカ福音書の「愚かな金持ち」のたとえ(ルカ12,13-21)を取り上げ、次のような説教を行われた。

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  親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 今日のミサの福音朗読箇所で、一人の人がイエスにこのように願いました。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください」(ルカ12,13)。これはよくある状況です。このような問題はいまだ毎日のように起こっています。相続をめぐってどれだけの兄弟姉妹が、家族のメンバーが、言い争い、そして絶縁していることでしょうか。

 イエスは、問題に深入りせず、核心に迫る答えをこの人に与えます。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい」(ルカ12,15)。貪欲と何でしょうか。富に対するとどまることのない欲、もっと富を得たいというあくなき願望です。これは人間を破壊する一種の病です。なぜなら所有への飢餓感には依存性があるからです。特に豊かな人ほど、決して満足することがありません。自分のためだけにますます豊かになろうとします。しかし、そこにはもう自由はありません。自由に平安に暮らすために役立つはずのものに、逆に隷属してしまうからです。お金を役立てるかわりに、自分がお金の奴隷になってしまうのです。

 貪欲は、社会にとっても、危険な病と言えます。貪欲のために、わたしたちは今日、別の矛盾、歴史上類を見ない不正義にあっています。わずかな人が多くを持ち、多くの人がわずかしか持ちません。戦争や紛争に目を向けてみましょう。たいていの場合、資源や富の追求が原因です。戦争の裏にはどれほどの利害が隠れていることでしょう。その最たるものは、武器取引です。

 今日イエスは、これらの問題の中心にあるのは、一部の権力者やある種の経済システムだけでなく、わたしたち一人ひとりが心に抱える貪欲であると、教えています。ここで自問しましょう。自分は富や豊かさからどれほど離脱しているだろうか。自分に足りないものを嘆くのか、それとも、持っているもので足りると言えるのか。お金や便宜の名のもとに、人間関係や他者のための時間を犠牲にしようと思ったことはないか。貪欲の祭壇で正義や合法性を犠牲にするようなことはないか。「貪欲の祭壇」と言いましたが、なぜなら資産や、お金、富は、まさに一種の崇拝、正真正銘の偶像崇拝になりうるからです。そのためにイエスは強い言葉で警戒を促すのです。イエスは言われます。「人は二人の主人に仕えることはできない」。ここでイエスは、神と悪魔、善と悪と言わず、「神と富とに仕えることはできない」(参照ルカ16,13)と言っていることに注目しましょう。富を利用することはよいことです。しかし、富に仕えてはなりません。それは偶像崇拝であり、神を侮辱することです。

 それでは、豊かになることを望んではいけないのでしょうか。もちろん、望めます。むしろ、そう願うのは正しいことです。豊かになるのは素晴らしいことです。大切なのは、神の御旨に従って豊かになることです。神こそ誰よりも豊かなお方です。神は憐れみといつくしみに富む方です。神の豊かさは、誰をも貧しくすることなく、また、争いや分裂を生むこともありません。それは、与えること、施すこと、分かち合うことを愛する豊かさです。

 兄弟姉妹の皆さん、富を蓄えるだけでは、より良く生きるためには足りません。なぜなら、人の命は、物を持っていてもどうすることもできない、とイエスは言っているからです(参照ルカ12,15)。それは、神との関係、他者との、自分より持っていない人々との良い関係によるものだからです。では、ここで自分に問いましょう。わたしはどのように豊かになりたいのか。神に従って、あるいは、自分の貪欲に従ってだろうか、と。さて、相続の話に戻りましょう。自分はどのような遺産を残したいのか。銀行預金や家財、それとも、わたしのまわりの喜ぶ人々、忘れられることのない善業、成長を助けた人々でしょうか。

 何が人生の真の財産なのか、永遠に残る本当の富とは何なのかを理解できるよう、聖母マリアがわたしたちを助けてくださいますように。

 

31 7月 2022, 19:29

お告げの祈り(アンジェルスの祈り)は、神の御子の受肉の永遠の神秘を思い起こす祈りです。この祈りは、朝の6時、正午、夕方18時頃の3回唱えられ、その時には、お告げの鐘が鳴らされます。アンジェルスの祈りと呼ばれるのは、ラテン語におけるこの祈りの冒頭の部分、– Angelus Domini nuntiavit Mariae – から採られています。この祈りは、イエス・キリストの受肉について語る3つの簡潔な本文と、3回のアヴェ・マリアの祈りからなります。お告げの祈りは、教皇によって、バチカンの聖ペトロ広場で、日曜日とカトリック典礼暦の祭日の正午に唱えられます。祈りの前に、教皇はその日の聖書朗読箇所などを観想する短い説教を行います、祈りの後には、巡礼者たちへの挨拶が続きます。
復活祭から聖霊降臨までは、お告げの祈りの代わりにアレルヤの祈りが唱えられます。これはイエス・キリストの復活を思い起こす祈りで、祈りの終わりには栄唱(グロリア)を3回唱えます。

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