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教皇フランシスコによる2022年6月29日のお告げの祈り バチカン・聖ペトロ広場 教皇フランシスコによる2022年6月29日のお告げの祈り バチカン・聖ペトロ広場  (AFP or licensors)

教皇「信仰の歩みは、散歩のようなものではない」

「使徒聖ペトロ・聖パウロ」の祭日、6月29日、教皇フランシスコはバチカンで正午の祈りの集いを持たれた。

 「使徒聖ペトロ・聖パウロ」の祭日、6月29日(水)正午、教皇は「お告げの祈り」をバチカンの広場の巡礼者と共に唱えられた。

 祈りに先立ち、教皇はこの日の福音朗読「マタイによる福音書」中のペトロが信仰を言い表す場面(マタイ16,13-19)を取り上げ、次のような説教を行われた。

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 使徒聖ペトロと聖パウロの祭日のミサの福音は、イエスの問いに対するペトロの答えを伝えています。「あなたはメシア、生ける神の子です」 (マタイ16,16)。これは聖ペトロの、人間的な理解からではなく、父なる神ご自身から受けたインスピレーションによる、一つの信仰告白です (参照 同16,17)。

 ペトロと呼ばれる、漁師シモンの信仰の歩みの始まりです。この言葉が完全に成熟するには、様々な経験を経た長い時間がまだ必要でした。使徒聖ペトロと聖パウロにも、わたしたち一人ひとりと同様に、信仰の修練期がありました。わたしたちも皆、イエスをキリスト、救い主、生ける神の子だと信じます。しかし、完全に福音に沿った生き方ができるようになるには、長い時間と、多くの忍耐、そして謙遜が必要なのです。

 使徒聖ペトロはこのことをすぐに自身で経験します。ペトロがイエスに信仰告白した直後に、イエスがご自身の受難と死を予告すると、ペトロは、それはメシアの在り方と相容れないと拒否します。師であるイエスに、「そんなことがあってはなりません」と叱責すらします。このようなペトロに、イエスは強い口調で「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」(同16,23)と答えます。

 こうしたことは、わたしたちにも起きはしないでしょうか。わたしたちは信仰宣言を繰り返します。そうするのは信仰心からです。しかし、生活でつらい試練に出会うと、すべてが崩れ去るように思われます。そして、「こんなはずではなかった。もっと平坦で楽な道もあったのではないか」と主に文句を言いかねません。

 信じる者の心の葛藤をわたしたちも生きています。イエスを信じ、イエスに信頼します。だが、同時に師イエスに従うことを困難と感じ、それとは異なる道を探したくなります。聖ペトロもこの内的ドラマを体験しました。ペトロの信仰も時間と成熟を要しました。彼は、最初、主の十字架の思いを恐れました。しかし、生涯の最後には、逆さに十字架にかかり殉教するまでに、主イエスを証ししたのです。

 多くの疑問や迷いを経験しながら、聖パウロも時間をかけて信仰の成熟に到りました。彼は復活されたキリストにダマスコ途上で出会い、迫害者からキリスト教徒となりました。これも、使徒自身が「身のとげ」と呼ぶ、多くの困難や失敗、絶え間ない苦しみを通して歩まねばならなかった、その信仰の歩みの始まりだったのです (参照2コリント12,7)。

 信仰の歩みは、決して散歩のようなものではありません。それは骨の折れる、時には大変つらい歩みでもあります。キリスト者となった聖パウロも、多くの試練を通して、徐々に完全なキリスト者とならねばなりませんでした。

 自問しましょう。イエス・キリストを神の子として信仰宣言する時、わたしはいつもまだたくさん学ぶことがあると自覚していますか、それとも、もうすべてわかっていると自負しているでしょうか。また、困難や試練の中で、気を落としたり、嘆いたりしていないでしょうか。それとも、それを主への信頼を強める機会としているでしょうか。

 聖パウロは、その弟子テモテに、主はわたしたちをすべての悪から救い、救いに導いてくださる、と書いています(参照2テモテ4,18)。

 使徒の女王、聖母マリアよ、信仰の歩みにおいて日ごと成長しながら、使徒たちに倣うことをお教えください。

 

 

29 6月 2022, 19:40