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聖金曜日:キリストの十字架上の死を記念する儀式、バチカンで

聖金曜日の夕方、教皇フランシスコはバチカンで「主の受難の儀式」をとり行われた。

 4月15日、復活祭を目前にした「聖金曜日」、カトリック教会の典礼は、イエス・キリストの十字架上の死を記念した。

 教皇フランシスコは、この日の夕方、「主の受難の儀式」をバチカンの聖ペトロ大聖堂でとり行われた。

 イエスの受難と死を深く観想するこの儀式は、祭壇前で頭を垂れた教皇の沈黙の祈りと共に始まった。

 みことばの祭儀では、「ヨハネ福音書」中の、ユダの裏切りによるイエスの逮捕から、イエスを知らないというペトロの否認、大祭司とピラトによる尋問、死刑判決、十字架につけられるイエス、イエスの死、十字架から降ろされ葬られるまで(18,1-19,42)が、3人の助祭により朗唱された。イエスが息を引き取られた場面では、朗読者と会衆は沈黙のうちに跪き頭を下げた。

 これに続き、教皇付説教師ラニエーレ・カンタラメッサ枢機卿による説教が行われた。

 カンタラメッサ枢機卿は、今年の復活祭は「喜びの鐘の音ではなく、死と破壊をもたらす砲弾の爆発の音」のもとに迎えることになった、と述べた。

 そして、同枢機卿は、ピラトが流させた血や、シロアムの塔の倒壊で亡くなった人々に触れたイエスが「あなた方も悔い改めなければ、皆同じように滅びる」(ルカ13,5)と言った警告を思い起こしつつ、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ2,4)ことがなければ、また同じことが繰り返される、と話した。

 世界の動向は目まぐるしく、すべては過ぎ、古びるが、時代にただ引きずられず、地に足をつけているためには、過ぎ去るものから、過ぎ去らないものへと移ることである、と述べた枢機卿は、今年、復活祭を真の過ぎ越しとし、決して変わることのない方、神へと移ろう、と人々に呼びかけた。

 説教に次いで、聖金曜日の盛式共同祈願が行なわれた。

 後半の儀式では、十字架を手にした助祭が大聖堂の入り口から祭壇に向かって進みつつ、三度にわたり歩を止め十字架を高く掲げ、その度に参列者を十字架の崇敬へと招いた。

 十字架は助祭によって教皇のもとに運ばれた。十字架を前にたたずんだ教皇は、長い沈黙の祈りを捧げ、十字架につけられたイエスに接吻された。

 最後に十字架は祭壇前にもたらされ、参列者は十字架を見つめ祈った。

 聖体拝領の後、会衆は静かに解散し、「主の受難の儀式」は終了した。

15 4月 2022, 20:04