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教皇フランシスコによる一般謁見 2022年4月20日 バチカン・聖ペトロ広場 教皇フランシスコによる一般謁見 2022年4月20日 バチカン・聖ペトロ広場  (Vatican Media)

高齢者への「敬意」という特別な愛を考える、教皇一般謁見

教皇フランシスコは、4月20日(水)、バチカンの聖ペトロ広場を会場に一般謁見を行われた。

教皇フランシスコは、4月20日、バチカンの聖ペトロ広場で、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この日、教皇による一般謁見は、およそ2年ぶりに広場で再開された。復活祭のために、春の花々で彩られた広場には、約2万人の巡礼者らが集った。

 この日、教皇は「老年の意味と価値」をめぐるカテケーシスとして、「『父母を敬え』年配者への愛」をテーマに話された。

 教皇のカテケーシスの要旨は次のとおり。

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 高齢者たちに対する「敬意」という形の特別な愛は、神の掟に定められている。モーセの十戒の一つ「あなたの父母を敬え」は、厳粛な義務である。それは自分の父母だけに対するものではない。それはその世代、もしくはそれ以上の世代の人々、すなわち年配者たちに向けられたものである。

 「敬意」とは、高齢の人々に対する愛のお返しを定義するのに適した言葉である。すなわち、わたしたちが両親や祖父母から受け取った愛を、今度はわたしたちがお返しするのである。今日、わたしたちは、あらゆる人のいのちの尊重といたわりの価値を示すために、「尊厳」という定義を再発見した。ここでは、高齢者たちにとって守られるべき「尊厳」は、実質的に「敬意」と言ってもよい。父母やお年寄りを敬うとは、その尊厳を認める、ということである。

 病者の看護、自立支援、生活保証などが、時に自尊心を傷つけることがある。行き過ぎたなれなれしさは、敬意を失う。そこでは繊細さ、愛情、優しさ、尊重が、ぶしつけさや、信頼の裏切りへと変ってしまう。高齢者の弱さを叱ったり、さらにはそれを悪いことのように罰したりすることが起きる。お年寄りの物忘れや混乱に対して、嘲笑したり、攻撃的になったりする。こうしたことは、家庭内や、高齢者施設、職場、公共の場でも起きかねない。

 若者たちが高齢者の弱さを軽蔑して恐ろしい態度をとることもある。少年たちがホームレスの人を役に立たない存在と見なし、その毛布に火をつけることなどは、氷山の一角である。若者たちから見て魅力や刺激から遠い存在は、それだけでもう無用の存在と捉えられることがある。

 高齢者をさげすむ態度は、実は、わたしたち皆をさげすむことである。大洪水の英雄ノアは、老いてもまだ熱心に働いていた。ある時、ぶどう酒を飲んで酔い、裸で寝ていたが、息子たちは父が目覚めた時に気まずい思いをしないようにと、視線を落として、大いなる尊重をもって近づき、そっとその体を覆った。この美しいエピソードは、お年寄りに対し払うべき敬意のすべてを語っている。このエピソードは、高齢者が恥ずかしい思いをしないようにと、その弱さをカバーすることを教えてくれる。

 豊かで行き届いた社会が高齢者のために提供するあらゆる物的なサービスも、敬意という特別な形の愛を取り戻すためにはまだ足りないように思われる。敬意という、この完成した「愛の文明」の形に敏感なお年寄りたちを、より良い社会的・文化的な支援を通して、できる限り励ます必要がある。

 これに関して、わたしが両親の皆さんにお願いしたいのは、子どもたちをお年寄りたちに近づける努力をしてほしいということである。子どもたちを高齢者たちから遠ざけないでほしい。高齢者を守り、独りにさせないことである。

 わたしたちが、この真の文化的な革命に向けて自分自身を開くことができるよう、神の霊の叡智の助けを祈ろう。

20 4月 2022, 17:16