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教皇フランシスコ、神のいつくしみの主日のミサで 2022年4月25日 バチカン・聖ペトロ大聖堂 教皇フランシスコ、神のいつくしみの主日のミサで 2022年4月25日 バチカン・聖ペトロ大聖堂  (Vatican Media)

教皇「困難の中でこそ出会う神のいつくしみ」

「神のいつくしみの主日」を迎え、バチカンの大聖堂でミサが捧げられた。

 カトリック教会の暦は復活祭直後の日曜日、4月24日、「神のいつくしみの主日」を記念した。

 この日の午前、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、8千人以上の信者と共に「神のいつくしみの主日」のミサが捧げられた。教皇フランシスコは膝の痛みのために、司式を新福音化推進評議会議長サルバトーレ・フィジケッラ大司教に託され、ご自身はミサ中の説教を行われた。

 教皇は説教で、復活後のイエスが弟子たちに三度にわたり繰り返す「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20,19.21.26)という言葉に注目。この言葉に、「喜びを与える」「赦しをもたらす」「困難の中で慰める」という、神のいつくしみの三つの働きを見出された。

 復活されたイエスが最初に弟子たちに現れた時、彼らは家に閉じこもり、挫折と罪の意識の中にあった。なぜなら弟子たちはイエスが逮捕された時、皆逃げてしまったからだった。特にペトロはイエスとは関係がないと三度までも師を否定した。

 教皇は、弟子たちは本来恥じ入るところだったが、イエスの最初の「あなたがたに平和があるように」という言葉に深い喜びを覚え、この喜びが彼らを変えた、と指摘。彼らは挫折感から抜け出し、イエスのいつくしみ深い眼差しに清められ、新たな人間にされたように感じた、と話した。

 イエスが弟子たちに「あなたがたに平和があるように」と二度目に言った時、イエスは「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(ヨハネ20,21)と言い、彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される」(参照 同20,22-23)と言われた。

 教皇は、イエスは弟子たちが「赦された人間」という自らの恵みの体験を通して、他者のために赦しをもたらす者になることを望まれた、と語った。

 イエスが三度目に「あなたがたに平和があるように」と繰り返された時、そこには、イエスの傷をこの目で見てそれに触れなければ、その復活を決して信じない、と言ったトマスもいた。イエスはトマスの困難に応えるために、ご自分の傷を示された。トマスは「わたしの主、わたしの神よ」と叫んだ。

 教皇は、トマスの物語は信者であるわたしたち一人ひとりの物語である、と強調。人生において、時に信仰を否定しかねない出来事や危機など、神に触れる必要を感じるような困難に出会うが、トマスのように、まさにこのような困難の中でこそ、わたしたちは主の御心、そのいつくしみと出会うことができる、と話された。そして、このような時、イエスは、圧倒的な証拠を携え、響き渡る奇跡と共に、凱旋的にやって来るのではなく、温かないつくしみのしるしをもってわたしたちのもとを訪れる、と説かれた。

 教皇は、復活の日曜日の後、聖母が弟子たちと一緒におられる姿を観想しつつ、「いつくしみの母」である聖母がわたしたちの素晴らしい使徒職を助けてくださるように、と祈られた。

 

24 4月 2022, 20:35