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聖香油のミサ:教皇「司祭に与えられる報いとはイエスとの友情」

聖木曜日の午前、教皇フランシスコは、ローマ教区の司祭たちと「聖香油のミサ」を共同司式された。

 教皇フランシスコは、聖木曜日、4月14日午前、ローマ教区の司祭たちと「聖香油のミサ」を共同司式した。

 復活祭直前の一週間である「聖週間」中の木曜日、「聖木曜日」の午前には、各教区の司教座聖堂で「聖香油のミサ」が司教と司祭らにより共同司式される。

 このミサでは、司祭たちは叙階の日の誓いを新たにすると共に、司教による聖油の祝別がとり行われる。

 バチカンの大聖堂で行われたミサには、ローマ司教である教皇を中心に、およそ1500人の司祭たちが集い、祭壇の周りをその白い祭服で埋め尽くした。

 説教で、教皇は第一朗読のイザヤ書の一節を次のように引用された。

 「あなたたちは主の祭司と呼ばれ、わたしたちの神に仕える者とされる[…]主なるわたしは[…]まことをもって彼らの労苦に報い、とこしえの契約を彼らと結ぶ」(参照 イザヤ61,6 、61,8)。

 教皇は、司祭であるとは非常に大きな恵みだが、それは自分のためである以前に、何よりも人々のためである、と指摘。

 主が司祭に与える最も大きな報いとはイエスとの友情であり、主が与える赦しより大きな平安はなく、主の御血ほど尊い犠牲はない、と話した。

 さらに教皇は、福音朗読箇所、ルカ福音書4章のイエスがナザレの会堂で説教を行う場面における、「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた」(ルカ4,20)という記述に注目。

 「目をイエスに注ぐ」というこの恵みを司祭は毎日大切に育み、一日の終わりに主に眼差しを注ぐと同時に、主からも自分自身の心を、またその日出会った人々の心を見つめていただこう、と説かれた。

 教皇はイエスのいつくしみあふれる眼差しを観想すると共に、また一方で、イエスの注意深い眼差しによって、わたしたちが隠し持つ偶像を見つけていただくことも必要、と語った。

 そして、司祭たちの召命を弱め、三位一体の神から彼らを引き離す、その隠れた偶像として、教皇は、世俗的精神、数や統計へのこだわり、役人的態度などを挙げられた。

 教皇は聖ヨセフに司祭らを託し、司祭たちがあらゆる執着から解放されるよう、また物事をよりよく行うために聖霊の照らしを得られるよう、その取り次ぎを祈られた。

 この後、司祭たちは教皇の問いかけに答えながら、叙階の誓いを更新した。

 続く聖油の祝別の儀式では、病者用聖油、洗礼志願者用聖油、そして聖香油の大きな壺が、助祭たちによって祭壇前に運ばれた。教皇はこれら3種の聖油をそれぞれ祈りと共に祝別された。

 聖木曜日の午前のミサがこうして終わり、この日の午後から、教会の典礼は一年の典礼暦の頂点をなす「聖なる過ぎ越しの3日間」に入った。

14 4月 2022, 15:37