教皇「人を虚栄からいやす四旬節の灰」
カトリック教会の暦は、3月2日、「灰の水曜日」を迎え、これと共に、復活祭前の祈りと償いの期間「四旬節」に入った。
同日夕方、ローマの聖サビーナ教会で、バチカン国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿による「灰の水曜日」のミサがとり行われた。教皇フランシスコはこのミサの司式を予定していたが、膝の痛みのために、主治医の勧めによって、その司式を同枢機卿に託した。
参加者らは、ミサに先立ち、聖アンセルモ教会から聖サビーナ教会へと向かう宗教行列を行った。
宗教行列到着後、聖サビーナ教会で捧げられたミサの中で、教皇が用意した説教をパロリン枢機卿が読み上げた。
この説教で教皇は、「見てもらおうとして、人の前で善行しないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる」(マタイ6,1)というイエスの言葉を引用。
主はここで人が受ける二つの異なる報いを区別している。一つは御父のもとでいただく報い、もう一つは世間で受ける報いである。そして、前者は永遠のものであるのに対して、後者ははかなく過ぎ去るものである、と教皇は説かれた。
教皇は、灰の水曜日の儀式で頭に受ける「灰」は、わたしたちが世間の報いを御父の報いに優先させようとする迷いから目を覚まさせるものであり、人間のはかなさを思い出させるこの厳粛な象徴は、「虚栄という病」から人をいやす、苦く効果的な薬である、と述べた。
四旬節は、わたしたちが内面からいやされ、復活に向けて、すなわち御父からいただく朽ちない報いに向けて歩むために、主から与えられた時間である、と教皇は強調。
そして、その回心の歩みは、今日や明日すぐにすべてを変えるためでなく、毎日を新しい精神、新しい態度で生きるためのものである、と記された。
教皇は、四旬節の歩みに必要な、祈りと、慈愛の業、断食の大切さを指摘。四旬節の灰によって偽善や虚栄から清められ、力を取り戻し、神と兄弟たち、そして自分自身との生きた関係を再び築くことができるようにと祈られた。
代読された教皇の説教に続き「灰の式」が行われた。パロリン枢機卿は自らの頭に悔い改めの象徴である灰を受けた後、参加者ら一人ひとりの頭に灰を授けた。