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教皇フランシスコ  2021年11月10日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール 教皇フランシスコ  2021年11月10日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール 

教皇「聖霊に従い、自由と喜びのうちに歩もう」一般謁見

教皇フランシスコは、11月10日(水)、バチカンで一般謁見を行われた。

 教皇フランシスコは、11月3日、バチカンのパウロ6世ホールを会場に、水曜恒例の一般謁見を行われた。

 謁見中のカテケーシスで、教皇はこの日「ガラテヤの信徒への手紙」をめぐる一連の考察を締めくくるにあたり、「たゆまず励む」をテーマに講話された。

 教皇のカテケーシスの要旨は次のとおり。

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 「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう。[…] 兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。」(ガラテヤ6,9-10.18)

 「ガラテヤの信徒への手紙」で、使徒聖パウロは、福音の宣教者として、また、神学者、司牧者としてわたしたちに話しかけている。

 アンティオキアの聖イグナチオは、「イエスの言葉を自分のものとする者は、イエスの沈黙にも耳を傾けることができる」と言った。この意味で、使徒聖パウロは、神の沈黙に声を与えることができる人であった。パウロの直感は、イエス・キリストの啓示に秘められた驚くべき新しさをわたしたちが発見することを助けてくれる。

 パウロは、キリストの神秘を観想し、それを自身の創造的な知性をもって伝えた真の神学者であった。同時に彼は、道に迷い混乱した共同体を前に、その司牧的使命を遂行する力を持っていた。

 聖パウロは、キリストによってもたらされた自由を情熱をかけて守り、そのために多くの苦しみや孤独をも体験することになった。

 パウロは、自分だけに与えられ、自分だけが応えることのできる召命を確信していた。彼はガラテヤの信徒たちに、彼らもあらゆる隷属から解かれたキリスト者の自由に召されていること、キリストにおいて神の子であることを説明しようとした。

 一方で、パウロは、その自由の概念がもたらすリスクをも自覚していた。彼は、キリスト者の自由とは、傲慢で放蕩な生活を意味するのではないと、はっきりと強調した。パウロは、自由とは愛を基礎とするものであり、それにふさわしいいつくしみの業に励むようにと勧めた。

 パウロの教えは、わたしたちを聖霊に導かれてキリスト者の自由を歩む情熱に駆り立てる。しかし、わたしたちはその一方で、毎日聖霊に従って歩むことに対し、自らの限界を自覚している。こうして、疲れが情熱にブレーキをかけ、わたしたちは元気を失い、時には、世俗的なメンタリティーを前に、自分たちが孤立しているようにさえ感じる。

 聖アウグスティヌスはこう言っている。「あなたの心の中で、キリストへの信仰は、舟上のキリストと同じである。あなたが非難され、疲れ、失望している時、キリストは眠っている。目覚めさせると、キリストはあなたの信仰を奮起させる」

 まさに、このとおり、わたしたちは心の中のキリストを呼び起こさなければならない。こうしてこそ、わたしたちは、嵐の先を見通すキリストのその眼差しをもって、物事を見つめることができるようになる。

 たゆまず善を行うようにと、使徒パウロは説いている。わたしたちの弱さをいつも助け支えてくれるよう、聖霊に信頼しなければならない。もっとしばしば聖霊に祈り求めることが大切である。

 どのように聖霊に祈るべきか。聖霊への祈りは自発的な、心から生まれるものでなくてはならない。困難な時、闇の中にある時、聖霊に「来てください」と、自分の言葉で呼ぶことである。「おいでください、来てください」と呼ぶことが大切である。

 頻繁に聖霊に祈りながら、聖霊に従い、自由と喜びのうちに歩いていきましょう。

 

10 11月 2021, 17:25

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