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教皇フランシスコ、2021年11月7日のお告げの祈り  教皇フランシスコ、2021年11月7日のお告げの祈り  

「虚飾のない、誠実で謙遜な信仰を学ぶ」教皇、日曜正午の集い

教皇フランシスコは、11月7日(日)、バチカンで正午の祈りの集いを持たれた。

 教皇フランシスコは、11月7日(日)、「お告げの祈り」をバチカンの広場の巡礼者らと共に唱えられた。

 祈りの前の説教で、教皇は、この日の福音朗読箇所、マルコ福音書中の、イエスが「律法学者を非難する」場面と、「やもめの献金」のエピソード(マルコ12,38-44)を取り上げられた。

 この朗読箇所で、イエスは、エルサレムの神殿の境内で起きている二つの光景を見つめられている。

 イエスはまず、律法学者たちが人々の前で目立ち、挨拶され、上座を占めることを好む様子を観察される。そして、彼らが「やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする」(マルコ12,40)ことを非難されている。

 次にイエスは、もう一つの光景をご覧になる。そこには、まさにこうした権力者たちから搾取される立場にある、一人の貧しいやもめがいた。イエスは、その貧しいやもめが賽銭箱に「乏しい中か自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れた」(同12,44)様子をじっと見つめられた。

 ここで教皇は、この律法学者らのように偽善的にならないために自分自身を見つめる必要を説くと同時に、この貧しいやもめを模範として見つめるよう勧められた。

 第一に、教皇は、律法学者らのようにうわべだけの信仰生活を送り、自分の見せかけに極度に気を遣っていないかを自問するように招かれた。

 神の名のもとに自分の虚栄を満たし、利益をむさぼり、権力によって貧しい人を搾取する律法学者たちの姿は、あらゆる時代の、あらゆる人々、また教会や社会への警告である、と教皇は強調。

 自分の地位を、他者を押し潰すためや、弱い立場の人々を搾取するために用いず、他人の称賛を望むことなく、神と隣人、特に貧しい人に仕え、魂の病である偽善を常に見張る必要を示された。

 これに対し、イエスは持っているすべてを賽銭箱に入れた貧しいやもめを、信仰の師として見つめるよう招いている、と教皇は述べた。

 このやもめの手元には何も残らないが、神に信頼する彼女は神の中にすべてを見出している、神は与える者の喜びを増大させる、と教皇は話し、虚飾のない、誠実で謙遜な、このやもめの信仰に学ぶよう、信者らを励まされた。

07 11月 2021, 17:53

お告げの祈り(アンジェルスの祈り)は、神の御子の受肉の永遠の神秘を思い起こす祈りです。この祈りは、朝の6時、正午、夕方18時頃の3回唱えられ、その時には、お告げの鐘が鳴らされます。アンジェルスの祈りと呼ばれるのは、ラテン語におけるこの祈りの冒頭の部分、– Angelus Domini nuntiavit Mariae – から採られています。この祈りは、イエス・キリストの受肉について語る3つの簡潔な本文と、3回のアヴェ・マリアの祈りからなります。お告げの祈りは、教皇によって、バチカンの聖ペトロ広場で、日曜日とカトリック典礼暦の祭日の正午に唱えられます。祈りの前に、教皇はその日の聖書朗読箇所などを観想する短い説教を行います、祈りの後には、巡礼者たちへの挨拶が続きます。
復活祭から聖霊降臨までは、お告げの祈りの代わりにアレルヤの祈りが唱えられます。これはイエス・キリストの復活を思い起こす祈りで、祈りの終わりには栄唱(グロリア)を3回唱えます。

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