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「王であるキリスト」の祭日 2021年11月22日のお告げの祈り バチカン・聖ペトロ広場 「王であるキリスト」の祭日 2021年11月22日のお告げの祈り バチカン・聖ペトロ広場  (Vatican Media)

王であるキリスト:教皇「自由をもたらすイエスの王国」

教皇フランシスコは、「王であるキリスト」の祭日、11月21日(日)、「お告げの祈り」の集いを持たれた。

 教皇フランシスコは、11月21日(日)、「お告げの祈り」をバチカンの広場の巡礼者らと共に唱えられた。

 典礼暦はこの日、年間最後の日曜日、「王であるキリスト」を祝った。

 教皇はこの集いで、次のように説教を行われた。

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 親愛なる兄弟姉妹の皆さん


 典礼暦最後の日曜日である今日の福音は、「わたしは王である」というイエスの言葉で頂点に達します(参照 ヨハネ18,37)。

 イエスはこの言葉をローマ総督ピラトの前で言います。一方で、群集は彼を十字架に架けろと叫んでいます。決定的な時の到来です。以前、人々がイエスを王として望んだ時、例えばパンと魚を増やした奇跡の後、人々がイエスを王にしようとした時には、イエスはそれを望まず、身を隠し、一人祈りの中に退きました(参照 ヨハネ6,14-15)。

 しかし、イエスが王であるという事実は、この世でいう王という意味とは、だいぶ異なっています。イエスはピラトに「わたしの国は、この世には属していない」とはっきりと言っています (ヨハネ18,36)。

 イエスは支配するためではなく、仕えるために来られます。イエスは権力のしるしではなく、しるしが持つ力と共においでになるのです。豪華な衣装を身に着けるのではなく、十字架上ですべてをはぎ取られます。その十字架の上に掛けた罪状書きは、まさしくイエスを「王」と宣言するものでした (参照 ヨハネ 19,19)。

 イエスが王であるという事実は、人間的な視野をはるかに超越したところにあります。イエスは他の王たちとはまったく違う王、他者のための王なのです。

 人々がイエスに敵対している時に、イエスはピラトに自分は王であると宣言します。それに対し、皆がイエスに従い、イエスを王として宣言したいと思った時には、イエスはかえって彼らと距離を置いたことを思い出してみましょう。

 イエスはこの世の栄光や評価にまったく縛られていませんでした。ここで自問しましょう。わたしたちはこうした点においてイエスに倣うことができるでしょうか。絶えず求められ、評価されたいという傾向を、克服できるでしょうか。それとも他者から評価されたいがためにすべてを行っているのではないでしょうか。わたしたちの行いは、特にキリスト者の務めにおいて、人々の喝采を求めるものでしょうか、それとも真に人々への奉仕を望むものでしょうか。

 この世における偉大さを求めないイエスは、同時に、イエスに従う者の心をも自由で高められたものにしてくれます。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、イエスはわたしたちを悪への隷属から解放してくださいます。イエスの王国は、自由をもたらすものです。決して支配的なものではありません。イエスは、すべての弟子を目下の者としてではなく、友人として扱ってくださいます。キリストは、すべての王の上にいるにも関わらず、自分と他者を決して分け隔てることがありません。かえってご自分の喜びを共有する兄弟にしてくださるのです。 (参照 ヨハネ 15,11)

 キリストに従うことで、尊厳を失うことなく、さらに得ることができます。なぜなら、キリストはご自分のまわりに、隷属的ではない、自由な人たちを望んでおられるからです。イエスの自由はどこから来るのでしょうか。それはピラトの前におけるイエスの言葉から知ることができます。「わたしは真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た」 (参照 ヨハネ18,37)。

 イエスの自由は真理から来ているのです。イエスの真理は、わたしたちを自由にします(参照 ヨハネ8,32)。 イエスの真理は、抽象的な概念ではありません。それは現実です。わたしたちの中にうごめく偽りや欺瞞から解放し、わたしたちの中で真理を実現するイエスご自身です。イエスと共にいるならば、わたしたちも真理の中にとどまります。キリスト者の生活は、仮面をかぶった演技ではありません。イエスが心の中で支配する時、あらゆる偽善や、欺瞞、ご都合主義から解放してくれるのです。

 イエスがわたしたちの王であることの最もわかりやすい証しは、わたしたちの生活を汚し、曖昧で暗く悲しいものとする物事からの離脱です。もちろんわたしたちも多くの欠点や足りない点を持つ罪びとです。しかし、イエスの支配のもとに生きる時、わたしたちは腐敗者にも、偽善者にも、真理を隠そうとする者にもなりません。それは二重生活を送らないということです。

 わたしたちを地上の隷属から解放し、欠点を制することを教えてくださる王たちの王、イエスの真理を毎日求めることができるよう、聖母マリアが助けてくださいますように。

21 11月 2021, 17:35

お告げの祈り(アンジェルスの祈り)は、神の御子の受肉の永遠の神秘を思い起こす祈りです。この祈りは、朝の6時、正午、夕方18時頃の3回唱えられ、その時には、お告げの鐘が鳴らされます。アンジェルスの祈りと呼ばれるのは、ラテン語におけるこの祈りの冒頭の部分、– Angelus Domini nuntiavit Mariae – から採られています。この祈りは、イエス・キリストの受肉について語る3つの簡潔な本文と、3回のアヴェ・マリアの祈りからなります。お告げの祈りは、教皇によって、バチカンの聖ペトロ広場で、日曜日とカトリック典礼暦の祭日の正午に唱えられます。祈りの前に、教皇はその日の聖書朗読箇所などを観想する短い説教を行います、祈りの後には、巡礼者たちへの挨拶が続きます。
復活祭から聖霊降臨までは、お告げの祈りの代わりにアレルヤの祈りが唱えられます。これはイエス・キリストの復活を思い起こす祈りで、祈りの終わりには栄唱(グロリア)を3回唱えます。

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