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教皇フランシスコ 2021年10月20日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール 教皇フランシスコ 2021年10月20日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール 

愛において実現される自由、教皇一般謁見

教皇フランシスコは、10月20日(水)、バチカンで一般謁見を行われた。

 教皇フランシスコは、10月20日、バチカンのパウロ6世ホールで、水曜恒例の一般謁見を行われた。

 謁見中の「ガラテヤの信徒への手紙」をめぐるカテケーシスで、教皇は「愛において実現される自由」をテーマに講話された。

 使徒聖パウロは「ガラテヤの信徒への手紙」で、イエスを通して得た新しいいのちのおかげで、規則によって形作られた宗教心から、神と兄弟たちとの交わりにある生きた信仰へ、また、罪と怖れへの隷属から、神の子の自由へと移ることが可能になるという、偉大な知らせを告げている。

 「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい」(ガラテヤ5,13-14)

 教皇は、パウロのこの言葉に注目しながら、彼が説く「自由」の核心とは何かを考察。

 「この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに」(同5,13)とパウロが言うように、イエスが与える自由とは、本能や利己的な衝動に従った生き方ではなく、「愛によって互いに仕える」(参照 同5,13)生き方に導くもの、と話された。

 「自由」でありながら「仕える」という矛盾、それに対するパウロの答えは、「愛によって」(同5,13)という言葉の中にある、と教皇は話した。

 キリストの愛によってわたしたちは自由を得たが、その愛は、特に最悪の隷属からわたしたちを解放した。その最悪の隷属とは、「わたしたち自身」への隷属である、と教皇は指摘。それゆえ、この自由はキリストから来る愛と共に成長し、イエスに倣う無償の奉仕へと向かわせる、と説かれた。

 聖パウロは「コリントの信徒への手紙1」でも、自由について誤った考えを持つ人たちに対し、次のように記している。

 「『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことが益になるわけではない。『すべてのことが許されている。』しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」(1コリント10,23-24)

 聖パウロは、「自由」とは自分の思い通りにすることと考えがちな誘惑に対し、愛の必要を提示している、と教皇は述べた。

 そして、奉仕することのない自由は、不毛で実りをもたらさないが、愛に生かされた自由は、貧しい人々へと向かい、彼らの顔にイエスの御顔を見出す、と語られた。

 今日広がる自由に対する概念には、「あなたの自由が始まるところに、わたしの自由が終わる」と言うような、人との関わりが欠如した、個人主義的な観点が見られる、と教皇は話した。

 これに対し、イエスを通して自由の恵みを得た者は、自由を面倒な他者から遠く離れた状態とは捉えず、常に自己を共同体の一部として認識している、と述べた。

 教皇は、社会的視点はキリスト教生活に不可欠なものであり、信者たちに自己の利害ではなく、共通善を見つめさせるもの、と話された。

 この歴史的な時、わたしたちは共同体的認識をより強める必要がある、と述べた教皇は、パンデミックはわたしたちが相互に支え合う存在であることを教えたが、それを知るだけでは十分でなく、毎日具体的な態度をもってこの道を選び取る必要がある、と強調された。

 

20 10月 2021, 14:47

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